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2027年3月1日から7日までの会衆の聖書研究

2027年3月1日から7日までの会衆の聖書研究

第28章: 「生涯ずっと心を尽くしてエホバに仕えた」

アサはどのように勇気を示しましたか?

コメント 1: アサは,民の間に長く根付いていた悪い宗教的慣行を取り除くことによって勇気を示しました。若かったアサは,それらが先祖代々受け継がれてきたものだから残すべきだとは考えませんでした。エホバの預言者たちの言葉に耳を傾け,偶像崇拝や神殿男娼をなくすために行動しました。ですから,アサの勇気は戦いで敵に立ち向かうことだけではありませんでした。エホバに喜ばれるためなら,自国の中で難しい変化を起こすこともいといませんでした。

コメント 2: アサの勇気が特にはっきり表れたのは,祖母マアカに対して取った行動です。マアカは太后という重要な地位にあり,おぞましい偶像を作っていました。アサは彼女をその地位から降ろし,偶像を破壊しました。親族だからといって,エホバが非とすることを大目に見ることはありませんでした。この記述から,アサが神への忠節を家族への忠誠よりも優先したことが分かります。正しいことを守るには,まさにこのような勇気が必要な場合があります。

コメント 3: アサは,100万人のエチオピア人の軍隊に立ち向かった時にも勇気を示しました。まず,心を尽くしてエホバに祈りました。エホバの助けが必要だと認め,その後,兵士たちと共に戦いに出ました。ですから,アサの勇気は,兵士や資源が十分にあるという確信に基づくものではありませんでした。エホバへの信頼に基づいていたのです。敵の数が多くても,神がご自分の民のために行えることが制限されるわけではない,とアサは理解していました。

1. 「聖木」とは何でしたか。考古学は,不忠実なイスラエル人がその聖木によって表される女神を崇拝していたことをどのように示していますか。(王一 15:12,13; w08 6/1 10ページ1-5節) A

コメント 1: 聖木は,カナン人の豊穣の女神アシェラを表す木製の像だったようです。それらは高い場所に置かれ,そこには祭壇,香をたく台,聖なる石柱などもありました。ですから,単なる装飾品や宗教的意味のない物ではありませんでした。偽りの崇拝と関係があったのです。それが何を表していたかを知ると,アサが祖母の作った偶像に対して断固とした行動を取った理由が分かります。

コメント 2: 重要な考古学的証拠として,エルサレムとユダ,特に一般の家の廃虚から見つかった何百体もの素焼きの小像があります。その多くは,誇張された特徴を持つ女性の像です。専門家はそれらを豊穣の女神アシュトレテやアシェラと結び付け,妊娠や出産を助ける護符として使われたと考えています。こうした発見から,当時の慣行が公の聖なる場所だけに限られず,家庭生活にも入り込んでいたことが分かります。

コメント 3: さらに,エホバの名とアシェラを結び付ける碑文も見つかっています。資料によると,一部の高い場所はエホバに奉献されたものと考えられていた可能性がありますが,そこで異教の要素を混ぜた崇拝が行われていました。これは問題の重大さを理解する助けになります。イスラエル人の中には,2つの崇拝を分けずに行っていた人たちがいたのです。真の神を豊穣の女神と結び付けることは,エホバが受けるにふさわしい清い崇拝と両立しませんでした。

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2. 予見者ハナニの息子とは誰だったようですか。その人は父親の勇気の手本にどのように倣いましたか。(洞察「ハナニ」2)

コメント 1: ハナニは預言者エヒウの父親だったようです。2人とも,王たちに矯正の音信を伝える勇気を示しました。ハナニは,エホバに頼らずシリアの王に頼ったアサを戒めました。一方エヒウは,イスラエルの王バアシャとユダの王エホシャファトを戒めました。2人に共通していたのは,相手の地位を恐れて,エホバが伝えさせた音信を伝えるのをためらわなかったことです。

コメント 2: ハナニの勇気は,アサの反応を見るとよく分かります。王は矯正を受けて激怒し,ハナニを牢屋に入れました。ハナニが指摘したのは小さな問題ではありませんでした。アサがエホバではなく人間の支配者に頼ったことを思い起こさせたのです。この出来事から,エヒウがどのような勇気を示したかが分かります。忠実に話すなら苦しい結果になることもありますが,預言者の務めは神の音信を伝えることでした。

コメント 3: エヒウは,バアシャとその家に対するエホバの裁きを告げることによって勇気を示しました。列王第一の記述によると,バアシャは悪い道を歩み,イスラエルの民に罪を犯させていました。エヒウは,王が聞きたいとは思わない非常に重大な音信を伝えなければなりませんでした。このようにして,強い権力を持つ人からの好意よりもエホバへの忠実さを優先するという,ハナニの勇気に倣いました。

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3. アサは間違いを犯したのに,聖書が「生涯中ずっと,アサの心は全てがエホバに向いていた」と述べているのはなぜですか。(王一 15:14; w17.03 19ページ5,6節)

列王第一 15:14 — しかし高い場所は取り除かれなかった。それでも,生涯中ずっと,アサの心は全てがエホバに向いていた。

コメント 1: 心を尽くして仕えるとは,アサが完全だったという意味ではありません。記述はアサの間違いを認めていますが,エホバへの愛と真の崇拝を推し進めようとした努力も示しています。エホバはアサの過ちを見過ごしたわけではありません。それでも,アサの生涯を評価した時,その専心を認めました。これは,心を尽くすことと決して間違えないことの違いを理解する助けになります。

コメント 2: アサの決定は,エホバに喜ばれたいという願いが本物だったことを示しました。偶像を取り除き,神殿男娼を追い出し,自分の祖母に対してさえ措置を取りました。真の崇拝を支持すると言うだけでなく,エホバが退ける慣行をそこから清めるために行動したのです。後に間違いを犯したとしても,エホバとの関係が生涯の中心だったことを行動で示していました。

コメント 3: アサは悪いものを取り除いただけではありません。民にもエホバを探し求め,律法とおきてに従うよう勧めました。特定の宗教的な物がなくなることだけでなく,民が真の崇拝を実践することを願っていたのです。この態度はアサの心を明らかにしています。国民の生活の中でエホバが本来占めるべき場所にいてほしいと願っていました。

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4. イスラエル人は死者を火葬する習慣がなかったのに,アサの葬式で「盛大に火がたかれた」と聖書にあるのはなぜですか。(代二 16:14; w05 12/1 20ページ5節)

コメント 1: その大きな火は,アサの遺体を焼くためではなく,香料を燃やすためのものでした。「ものみの塔」はこの違いを明確にしています。ですから,大きな火がたかれたという記述は,死者を埋葬する習慣が変わったことを示していません。葬式の際に行われたことを述べているのであって,遺体に対して行われたことを述べているのではありません。

歴代第二 16:14 — 彼は,「ダビデの町」に自分のために掘ってあった大きな墓に葬られた。横たえられた台には,バルサム油やさまざまな材料を混ぜた特製の香油がいっぱい入っていた。彼の死を悼んで盛大に火がたかれた。

コメント 2: この節自体に決定的な情報があります。アサは「ダビデの町」に自分のために掘ってあった墓に葬られました。香油や香料を載せた台についても述べられています。ですから,文脈は王の埋葬と葬式の際にたかれた火を区別しています。両方の記述に矛盾はありません。別々の行動を指しているのです。

コメント 3: この例から,表現を文脈の中で読むことの大切さが分かります。火だけに注目すると,間違った結論に達するかもしれません。しかし,同じ節が述べる埋葬と,香料を燃やしたという説明を考慮すれば,意味は明らかです。注意深く読むなら,記述にないことを読み込まずに済みます。

アザリヤの言葉は,清い崇拝を回復するようアサを励ましました。私たちは言葉によってどのように他の人を励ませますか? B

コメント 1: 他の人のエホバへの信頼を強めるために言葉を使えます。単にもっと努力するよう言うだけではありません。アサは神の預言者たちの言葉を聞いて勇気を得ました。同じように,誰かが難しい決定を前にしているなら,エホバに喜ばれることに価値がある理由を愛情深く思い起こさせられます。聖書に基づくコメントは,その人が独りではないと理解する助けになります。目的はさらに圧力を加えることではなく,正しいことを行うための励みを与えることです。

コメント 2: 挿絵には,集会にあまり関心がなさそうな若い兄弟を見ている兄弟が描かれています。その後,近づいて楽しい会話をしています。この場面から,第一印象だけで判断したり,相手の悪い点を指摘するだけにしたりしないことを学べます。その人に心から関心を示し,話を聞き,愛情深く話せます。そうすれば,言葉によって相手を励ます機会が開かれ,裁かれたり拒絶されたりしたと感じさせずに済みます。

コメント 3: 最後の挿絵では,その若者がコメントし,兄弟がほほ笑んでいます。これは,他の人の努力を喜び,それを認めることの大切さを思い起こさせます。若い人や困難を経験している人は,自分の努力が見過ごされていないと聞く必要があるかもしれません。誰かと比較せず,誠実かつ具体的に褒めることができます。励ましの言葉は長くなくても,特別でなくても構いません。大切なのは,心からの関心を伝え,その人がエホバにいっそう近づき続けるよう助けることです。

アサは大軍を打ち破るためにエホバに助けを求めました。しかし後に,もっと小さな軍隊に直面した時には人間に助けを求めました。このことから,何をする時にもエホバに頼ることの大切さについて何を学べますか。(格言 3:5,6)

格言 3:5-6 — 心を尽くしてエホバに頼れ。自分の考えに頼ってはならない。 どんな道を行く時にも神のことを考えよ。そうすれば神が真っすぐに進ませてくださる。

コメント 1: 格言の原則は,解決できそうにない状況だけでなく,私たちの全ての決定に当てはまります。アサはエチオピア人の大軍を前にエホバを求めましたが,後には別の脅威に直面してシリアの王に頼りました。これは,危機の時には神が必要だと認めても,自分で解決できそうだと思うと忘れてしまうことがあるという警告です。エホバに頼るとは,小さく簡単に扱えそうな事柄でもエホバを考慮に入れることです。

コメント 2: 過去に示した信仰があれば,いつも信仰を示して行動できるとは限りません。アサはエホバが助けてくださるのを見ていましたが,後に重要な場面でエホバに頼らなくなりました。ですから,祈りによって信頼を保ち,すでに受けた助けを思い出す必要があります。以前勇気を示したことや,長年エホバに仕えてきたことだけで十分ではありません。新たな決定をするたびに,エホバに頼っていることを示す機会があります。

コメント 3: アサが病気になった時のことからも学べます。章は医師に助けを求めたことを問題にしているのではなく,エホバに助けを求めなかったことを強調しています。これは平衡を保つ助けになります。適切な人間の助けを求めても,神への信頼に取って代わる必要はありません。助言や援助を受けるとしても,祈り続け,導きを求め,自分にはエホバの支えが必要だと認められます。大切なのは,決定からエホバを締め出さないことです。

アサの勇気の手本にどのように倣えますか?

コメント 1: 家族を含め,他の人を喜ばせたいという願いよりもエホバへの忠節を優先することによってアサに倣えます。アサは,マアカが高い地位にあったことや祖母だったことを理由に,偶像崇拝を大目に見ませんでした。私の場合,家族に厳しく接するという意味ではなく,エホバが是認することに基づく決定を敬意を込めて守るという意味です。家族を愛していても,神に喜ばれない慣行に参加する必要はないと教えられます。

コメント 2: エホバに喜ばれるために何かを変える必要があると分かった時,行動することもできます。アサは偶像崇拝が間違っていると認めるだけでなく,それを除く措置を取りました。私も,それがずっと生活の一部だったというだけの理由で,ある習慣や慣行を保っていないか考えられます。エホバの求めに合わないと分かったなら,それを捨てる勇気が必要です。アサの手本は,学んだことを単なる良い意図で終わらせず,具体的な決定に変えるよう励ましてくれます。

コメント 3: エチオピア人の軍隊に立ち向かう前に祈ったアサの勇気にも倣いたいと思います。問題が大きすぎるように思える時,恐れに決定させるのではなく,まずエホバに話しかけられます。その後,エホバの導きに従って行動する必要があります。エホバがすでに助けてくださった時のことも思い出せます。章が強調しているように,エホバがしてくださったことを忘れてはなりません。それを思い出すと,次の試練に立ち向かう力が得られます。

この記述からエホバについて何を学べますか?

コメント 1: エホバの力は人間の資源に依存していないことを教えられます。エチオピア人には100万人の兵士がいましたが,その優勢さによってエホバがアサとユダを助けられなくなったわけではありません。アサは,神が強い人も弱い人も助けられると理解していました。これは,自分の限界を感じる時に私の信頼を強めます。この記述は,私たちが決して困難に遭わないという意味ではありません。しかし,どんな状況も,エホバに頼る人を助ける神の能力を奪うことはない,と教えてくれます。

コメント 2: エホバの忍耐に心を打たれます。聖書はアサの重大な間違いを隠していませんが,彼の良い行いや専心を消し去ってもいません。章は,エホバがご自分を愛する人を愛していることを強調しています。エホバは,人の生涯全体を失敗だけで評価する父親ではないと分かります。アサに対するエホバの見方は,完全ではなくても心を込めて仕えようと努力し続けるよう励ましてくれます。

コメント 3: この記述は,エホバがご自分の僕たちの悪い道に無関心ではないことも教えています。アサがエホバではなくシリアの支えを求めた時,ハナニを遣わして矯正しました。ですから,エホバの忍耐はどんな決定でも是認するという意味ではありません。間違いを指摘してくださいます。私はこのことから,矯正を謙遜に受け入れ,その音信を聞いた時のアサの怒った反応に倣わないようにしたいと思います。

この記述は,エホバの目的や聖書の主題とどのように関係していますか?

コメント 1: 明らかな関係の1つは,エホバの名の重要性です。アサは戦いの前に祈った時,自分の生存や王としての名声だけを考えませんでした。自分たちが神の名によって敵に立ち向かっていることを認めました。勝利は,エホバがご自分の民を守れることを示しました。この点から,単なる軍隊同士の戦いを越えて,エホバの名と力について教える内容に注目できます。

コメント 2: 章は,エホバが宇宙の主権者であることを強調しています。敵軍の兵士が非常に多くても,エホバの力に限界を設けることはできません。アサはエホバに頼る必要を認めた時には正しく行動しましたが,その信頼を脇に置いて安全を求めた時には間違いました。これは,エホバの権威を認め,僕たちを導く方法を信頼するという重要な問題と関係しています。私たちは言葉だけでなく決定によって,その信頼を示せます。

コメント 3: また,エホバにふさわしい崇拝とも関係しています。アサは偶像を取り除き,律法への従順を促し,民が神への忠節を表せるよう助けました。北の王国の人々でさえ,エルサレムの神殿でエホバを崇拝するためユダに移ってきました。ですから,この記述の中心は王の軍事力だけではありません。人々がエホバを神として認め,偶像のない清い崇拝をささげることの重要性です。

アサが復活したら,何を尋ねたいと思いますか?

コメント 1: エチオピア人の巨大な軍隊を見て祈り始めた時,どのように感じたかを尋ねたいと思います。記述からアサの願いは分かりますが,エホバの助けをどのように経験したかを本人から聞けたら興味深いでしょう。その勝利についてどんな記憶を保っているかも尋ねたいです。答えを予想することはできませんが,この質問を考えると,戦いに出る前にエホバの助けが必要だと認めた信頼の大切さに目を向けられます。

コメント 2: マアカを太后の地位から降ろす決定について尋ねたいです。何をしたかは分かっていますが,家族とエホバへの忠節が関係する状況にどう向き合ったかを聞きたいと思います。預言者たちの言葉が,勇気を持って行動する上でどのように助けになったかも尋ねます。どんな詳細を話すかは分かりませんが,この決定は明確な教訓を残しています。親族関係のために,神への従順を二の次にしてはなりません。

コメント 3: 自分の良い行いと間違いの両方から学んでいる人たちに何と言うかを尋ねたいです。特に,エホバへの信頼や矯正の受け止め方についての考えを聞きたいと思います。答えを知ることはできませんし,想像する必要もありません。今ある記述だけで,自分の態度を吟味するよう励まされます。状況が変わってもエホバを求め続けているか,また,他の人を通して与えられる助けを謙遜に受け入れているかを考えられます。

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