簡素な祝いは天の王である私たちの王の特質を表す
1,2. (ア)イエスが自分の死を簡素な方法で記念するよう教えたのは,なぜ道理にかなっていますか。
マタイ 7:28-29 — イエスがこれらの言葉を語り終えると,群衆はその教え方に大変驚いていた。 律法学者たちのようにではなく,権威を授かった人のように教えていたからである。
回答 1: マタイは,イエスの教えがどんな影響を与えたかを強調しています。段落で説明されている通り,イエスは重要な真理を明快で分かりやすい方法で伝えました。ですから,死を記念するための簡素な式を制定したのも当然です。簡素だからといって重要性が失われるわけではありません。むしろ,その深い意味に集中しやすくなります。
回答 2: イエスの死を記念する方法は,イエスの教え方と調和していたからです。深い真理を伝えるために,説明を複雑にする必要はありませんでした。同じように,主の晩餐も,犠牲という非常に重要なことを思い出させるために,手の込んだ式を必要としません。このことから,簡素さと価値のなさを混同してはいけないことが分かります。簡素な祝いでも,私たちの王について多くのことを教えられるのです。
回答 3: それが道理にかなっているのは,イエスが弟子たちに,何を記念しているのかを理解してほしいと思っていたからです。主の晩餐で何が行われるかは誰でも簡単に説明できますが,式の流れを理解したからといって,そこから学べることを全て把握したとは限りません。主の晩餐について思い巡らすなら,イエスの特質をいっそう高く評価できます。ですから,祝いの複雑さを求めるのではなく,その意味を深く考えるのがよいでしょう。
1,2. (イ)イエスのどんな特質について考えますか。
回答 1: イエスの謙遜さ,勇気,愛について考えます。主の晩餐と,イエスが行い語った事柄から,こうした特質を感じ取れます。目的は,イエスをいっそう敬うことだけではありません。考え方や他の人への接し方の面で,イエスにいっそう似る方法を学ぶことです。
回答 2: 3つの特質とは,謙遜さ,勇気,愛です。これほど簡素な祝いを通して天の王をいっそうよく知ることができるのは,とても意味深いことです。イエスの行動や教えと結び付けて考えるなら,イエスがどんな人かをいっそう理解し,イエスをより身近に感じられます。
回答 3: イエスがどのように謙遜さ,勇気,愛を示したか,そして私たちがどのようにイエスに倣えるかを学びます。この点に注目すると,研究はとても実際的なものになります。最初の主の晩餐がどのように行われたかを思い出すだけではありません。イエスの手本が私たちの行動に影響を与えるようにするのです。
3. マタイ 26:26-28 を読むと,イエスが制定した主の晩餐は複雑ではなかった,なぜそう言えますか。無酵母パンとぶどう酒は何を表していますか。
マタイ 26:26-28 — 食事中に,イエスはパンを取り,祈ってから,それを割って弟子たちに渡し,言った。「取って,食べなさい。これは私の体を表しています」。 また,杯を取り,感謝の祈りをしてから,それを渡して言った。「皆,杯から飲みなさい。 これは私の『契約の血』を表しており,それは罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっています。
回答 1: イエスは,無酵母パンとぶどう酒という2つの簡素な物を用いました。それらは,イエスが弟子たちのために差し出すことになっていた完全な体と血を表していました。
回答 2: イエスが過ぎ越しの食事で残った無酵母パンとぶどう酒を用いたので,複雑ではありませんでした。そこには忠実な11人の使徒がいて,イエスはその2つの表象物が何を表すか,つまり自分の完全な体と血を説明しました。これほど深い教えを伝えるために,手の込んだ式は必要ありませんでした。そのおかげで,まもなく差し出そうとしていた犠牲に注意を集中できます。
回答 3: 無酵母パンはイエスの完全な体を,ぶどう酒はイエスの血を表していました。大切なのは準備の複雑さではなく,それらの表象物が使徒たちに教えたことです。イエスは間もなく彼らのために命を差し出そうとしていました。主の晩餐でパンとぶどう酒を見る時,私たちも,イエスが私たちのために進んで差し出したものについて感謝を込めて考えられます。
4. 主の晩餐がとても簡素なのはなぜかを理解する上で,イエスがマルタに与えたどんな助言が役立ちますか。
ルカ 10:40-42 — 一方,マルタはもてなすための種々の用事に気を取られていた。そして,イエスの所に来て,言った。「主よ,マリアが私だけに用事をさせていることを何とも思わないのですか。手伝うよう言ってください」。 主は答えた。「マルタ,マルタ,あなたは多くのことに気を使って心をかき乱されています。 でも,必要なのはわずかなもの,というより1つだけです。マリアは良いものを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません」。
回答 1: イエスはマルタに,霊的な教えを優先するよう助けました。その後,簡素な式を制定することによって,その助言に沿って行動しました。
回答 2: イエスはマルタに,手の込んだ食事をいつも準備する必要はないと親切に説明しました。マルタは大切な客をよくもてなしたいと思っていましたが,多くの用事のために,イエスの話を聞くことから気をそらされていました。数カ月後,イエスは主の晩餐を制定する際に同じ考え方を示しました。死は並外れて重要な意味を持つものでしたが,複雑な祝いを準備しませんでした。イエスの手本から,必要な準備をすることと,霊的な事柄を見失うことを区別できます。
回答 3: マルタへの助言から,イエスは大がかりな準備によって自分を敬ってほしいと思っていたわけではないことが分かります。イエスの教えに注意を向けることを重視していました。ですから,死を記念する方法を定めた時に,簡素なものを選んだのも不思議ではありません。教えたことと行ったことには美しい一貫性があります。私たちも,外面的な細部より,主の晩餐の霊的な意味を重視することによって,イエスに倣えます。
5. 主の晩餐が簡素であることから,イエスについて何を学べますか。フィリピ 2:5-8 とどのような関係がありますか。(画像も参照。)
フィリピ 2:5-8 — キリスト・イエスと同じ考え方をしてください。 キリストは神のような方でしたが,神と同等になろうなどと考えることさえしませんでした。 かえって,全てを捨てて奴隷のようになり,人間になりました。 その上,人として来た時,謙遜さを示し,死に至るまで従順でした。苦しみの杭に掛けられて死ぬことを受け入れたのです。
回答 1: 死に至るまで従順だったことから,イエスの深い謙遜さが分かります。簡素な主の晩餐にも同じ態度が表れています。イエスは複雑な祝いによって栄誉を求めませんでした。
回答 2: イエスが誇り高い人ではなかったことを教えています。イエスは,歴史上最大の犠牲を差し出そうとしており,エホバによって天の王にされることを知っていました。それでも,自分に不適切なほど注意が集まるような複雑な祝いを求めませんでした。簡素でふさわしい式を選びました。その決定から,イエスの謙遜さが本物であり,どのように記念されたいかという点にまで表れていたことが分かります。
回答 3: フィリピ 2:5-8 から,イエスの歩み全体に謙遜さが表れていたことが分かります。天での立場を手放し,人間として生活し,死に至るまで従うことを進んで受け入れました。ですから,主の晩餐を簡素にしたことは,その時だけの決定ではありません。イエスの考え方と完全に調和していました。私たちもイエスに倣い,謙遜さが自分について何を言うかだけでなく,決定にも影響するようにしたいと思います。
6. 困難に遭う時,どのようにイエスの謙遜さに倣えますか
フィリピ 2:3-4 — 対抗心を抱いたり,自己中心的になったりしてはなりません。謙遜になり,自分より他の人の方が上だと考えてください。 自分のことばかり考えずに,他の人のことにも気を配りましょう。
回答 1: 私たちは,問題のことで頭がいっぱいにならないようにすることによって,イエスに倣えます。フィリピの手紙は,他の人にも関心を払うよう勧めています。イエスは,亡くなる前の晩にそのようにしました。自分がどんな苦しみに遭うかを知っていましたが,弟子たちを力づけるために時間を使ったのです。イエスは,謙遜さを示し,弟子たちに気を配って助けました。
回答 2: 私たちは,自分の快適さよりも兄弟たちの幸福を優先できます。イエスは,恐ろしい死が待っていることを知っていましたが,弟子たちが味わう痛みについて考えました。会話の全てを自分の苦しみに向けるのではなく,弟子たちを教え,励まし,慰めました。イエスの手本について考えると,自分も困難を経験している時に,苦しんでいる人に励ましの言葉を掛けられないだろうか,と自問できます。
回答 3: イエスに倣う1つの方法は,他の人がどう感じているかに引き続き注意を払うことです。問題を抱えている時には,自分の心配事だけで思いがいっぱいになりがちです。しかしイエスは,使徒たちが感じていた必要を見過ごしませんでした。ご自分が大きな試練に直面していたまさにその時に,弟子たちを慰めたのです。謙遜であれば,他の人の痛みにも注意を向ける必要があることを認められます。
7. 主の晩さんを制定した直後,イエスはどのように並外れた勇気を示しましたか
ルカ 22:41-42 — そして,石を投げれば届くほどの所まで離れ,膝をかがめて祈り始め, こう言った。「父よ,あなたが望まれるようでしたら,この杯を私から取り除いてください。とはいえ,私の望むことではなく,あなたの望まれることがなされますように」。
回答 1: イエスの祈りから,どれほど苦しむことになるかを知っていても,エホバの意志を行おうと固く決意していたことが分かります。自分の意志を押し通そうとはしませんでした。このように自覚を持って従ったことは,並外れた勇気の表れです。勇気とは,行うのがとても難しい時にも神に忠実であり続けることだと教えられます。
回答 2: イエスは,処刑による苦しみだけでなく,冒瀆の罪を着せられるという恥辱も進んで耐えました。父を深く愛していたイエスにとって,その обвин accusation は特に不当なものでした。それでも,エホバの意志からそれませんでした。イエスの手本から,勇気とは身体的な痛みに耐えることだけではなく,他の人から誤った動機を持つ者と見なされたり,辱められたりしても,忠誠を保つことでもあると分かります。
回答 3: イエスは,自分の安全よりもエホバの名と統治する権利を優先することによって勇気を示しました。また,イエスが忠実だったからこそ,悔い改める人たちは永遠の命を受けられるようになりました。イエスは,目の前の苦しみを避けることよりもはるかに重要な事柄を考えていました。エホバへの忠実が何を意味するかを考えるなら,試練に遭う時も確固としていられます。
8. イエスは忠実な使徒たちに何を言いましたか
ヨハネ 15:12-15 — 私があなたたちを愛した通りにあなたたちが互いを愛すること,これが私のおきてです。 友のために自分の命をなげうつこと,これより大きな愛はありません。 私が命じていることを行うなら,あなたたちは私の友です。 私はあなたたちをもう奴隷とは呼びません。奴隷は主人が行うことを知らないからです。私はあなたたちを友と呼びました。天の父から聞いたことを全てあなたたちに知らせたからです。
回答 1: イエスは,自分の手本に倣って愛し合うよう命じました。イエスに忠実であるなら,弟子たち同士の自己犠牲的な愛に表れるべきだということを明らかにしたのです。
回答 2: イエスと父が弟子たちに何を望んでいるかを説明し,忠実を保って天でイエスと共になるために何をすべきかを示しました。その中には,イエスが弟子たちを愛したように互いを愛することが含まれていました。教えを思い出すだけでは不十分で,実行しなければなりません。クリスチャンの愛は単なる感情ではなく,従い,他の人のために犠牲を払う心構えなのです。
回答 3: イエスは,弟子たちが直面する試練についても率直に話しました。反対のない生活を約束したのではありません。前もって警告し,困難が来た時に言葉を思い出して信仰を失わないようにしました。この準備は,弟子たちへの関心の表れでした。私たちも,試練に遭うからといって,エホバやイエスが世話をしなくなったわけではないと知るなら,力づけられます。
8. イエスの死後,弟子たちはどのように勇気を示し続けましたか
ヘブライ 10:33-34 — ある時には,人々の前で非難にさらされて苦難に遭い,別の時には,そのような経験をしている人たちに寄り添いました。 捕らわれている人たちに同情し,持ち物が奪われても喜んで耐え忍びました。もっと良い,永続するものを持っていることを知っているからです。
回答 1: 迫害されている人たちを支え,投獄されている人たちに思いやりを示しました。自分たちも苦しむ可能性があったにもかかわらずです。勇気とは,自分だけが耐えることではなく,兄弟たちが最も助けを必要としている時に見捨てないことでもあります。
回答 2: 互いに助け合うために苦しむこともいとわず,イエスの手本に倣いました。恐れのために迫害されている兄弟たちから離れることはありませんでした。兄弟たちに付き添い支えるなら,つらい結果になることもありましたが,愛に動かされてそうしました。クリスチャンの勇気には,自分に降り掛かる試練をしっかり耐えるだけでなく,兄弟たちのそばにいることも含まれると理解していたのです。
回答 3: 持ち物を奪われても,忠実を捨てませんでした。ヘブライ人の手紙によると,より良い永続する所有物を思いに留めていました。その希望があったので,物質的なものを最も重要なものとは考えませんでした。この点は私たちにも役立ちます。希望を強めるなら,たとえ大切にしているものを失うことになっても,正しいことを行い続ける勇気が得られます。
9. どのようにイエスの勇気に倣えますか
使徒 14:3 — それで,2人はかなりの時をそこで過ごしてエホバの権威の下に大胆に語った。神は2人に奇跡や不思議なことを行わせて,惜しみない親切に関する言葉がその通りであることを明らかにした。
回答 1: 反対に遭っても伝道を続けることによって,イエスに倣えます。「使徒たちの活動」の記録から分かるように,弟子たちはエホバに頼って勇気を持って語りました。私たちも,聞く人の反応ではなく,エホバへの信頼によって王国のメッセージを伝えたいという気持ちを決めたいと思います。
回答 2: 信仰のために迫害されている兄弟たちを支えることもできます。段落では,兄弟たちのために祈り,裁判所などで当局者に対して弁護することが述べられています。私たちは兄弟たちの苦しみに無関心でいたくありません。愛と勇気に動かされ,助けるためにできることを行います。そうするなら,支えるために努力が求められる時にも,兄弟たちを自分の霊的な家族の一員と見ていることを示せます。
回答 3: 不当に投獄されている人たちのために,心から祈ることができます。ヘブライ 13:19から分かるように,兄弟たちの祈りは非常に価値がありました。別の方法で助けられない場合でも,祈りの力を軽く見てはなりません。迫害されている人たちを祈りに含めるなら,その必要に注意を払い続けられ,恐れや距離のために無関心になることを避けられます。
10. 記念式までの数週間に何を行うべきですか。なぜですか。
ヘブライ 12:3 — 罪人たちは自分に害を招く敵対的な言葉を語り,イエスはそれを忍耐しました。そのイエスのことをよく考えてください。そうすれば,疲れて諦めてしまうことはないでしょう。
回答 1: 記念式のための聖書朗読を続け,イエスが耐え忍んだ事柄について思い巡らすべきです。ヘブライ人への手紙は,そうすることが私たちのためになる理由を説明しています。イエスの手本についてじっくり考えるなら,諦めずに頑張ることができるのです。朗読を終えることだけを目標にするのではなく,それによってエホバへの感謝,希望,そして忠実であり続ける勇気を強めたいと思います。
回答 2: イエスの死に至るまでに起きた出来事について,時間を取ってじっくり考えるのはよいことです。そうすれば,パンとぶどう酒を見た時,それらが表している犠牲をいっそうよく理解できます。準備とは,記念式がいつどこで行われるかを知ることだけではありません。エホバとその子が私たちのためにしてくださったことをいっそう深く認識できるよう,心を整えることも含まれます。
回答 3: 罪の許しや永遠の命の希望など,贖いによって受けられる恩恵について思い巡らせることができます。この段落は,そうした贈り物をエフェソス 1章7節とヨハネ 3章16節に結び付けています。それらが自分や愛する人たちにどのような益をもたらすかを考えると,感謝が深まります。さらに,希望が現実のものとなり,強い希望があれば,困難に直面した時にも耐え忍ぶ理由を持てます。
11,12. ここまでどんなことを学びましたか。
ヘブライ 7:24-25 — しかし,イエスは永遠に生き続けるので,誰かが祭司職を引き継ぐことはありません。 そのためイエスは,自分を通して神に近づく人たちを完全に救うことができます。常に生きていて,彼らのために願い出てくださるからです。
回答 1: イエスは地上にいた時だけ謙遜さと勇気を示したのではありません。今も大祭司として私たちのために願い出ることにより,それらの特質を示しています。この聖句から,現在行っているイエスの働きの価値を認識でき,イエスの犠牲と,今も私たちを気遣ってくださっていることの両方に心から感謝できます。
回答 2: 主の晩餐は,贖いの価値だけを思い起こさせるものではない,ということを学びました。その簡素さはイエスの謙遜さを反映しており,あの夜にイエスが行ったことは勇気を示しています。ですから,記念式に出席する時,過去の出来事を思い起こすだけではありません。私たちの王についていっそうよく知り,王を信頼し,その特質に倣う理由も得られます。
回答 3: また,イエスの死を記念するようにという命令に忠実に従うことによって,感謝を示せることも学びました。私たちは毎年,ニサン14日に当たる日にそれを行います。それは私たちにとって一年で最も大切な日です。それを単にカレンダー上の特別な日としたくはありません。イエスの犠牲が意味する全てのことに対する深い敬意と感謝を抱いて参加したいと思います。
13. ヨハネ 15章9節とヨハネ第一 4章8-10節は,エホバとイエスの愛について何を教えていますか。その愛は誰に益をもたらしますか。
ヨハネ 15:9 — 父が私を愛したように,私はあなたたちを愛しました。いつも私に愛されるようにしていなさい。
回答 1: イエスは弟子たちへの接し方によって,父から受けた愛を反映しました。ヨハネ第一の手紙は,命を得られるように子を遣わすことによってエホバが愛を示した,と説明しています。ですから,イエスの犠牲について考える時,父と子の両方の愛を認識できます。その犠牲は,油そそがれた者たちにもほかの羊にも益をもたらします。
回答 2: これらの聖句は,エホバとイエスの愛が行動によって示されたことを明らかにしています。エホバは子を遣わし,イエスは私たちのために命を与えることを進んで行いました。私たちが先に愛を示すのを待ったのではありません。このことを理解すると感謝が深まります。贖いは,私たちが知っている教えにすぎず,どれほど大切に思ってくださっているかを示す並外れた証拠なのです。
回答 3: その愛は,油そそがれたクリスチャンにも,ほかの羊に属する人たちにも益をもたらします。希望は異なっていても,皆がイエスの犠牲を必要とし,その恩恵を受けます。このことから,共通しているものを認識できます。記念式では,許しと希望を可能にしてくださった同じエホバとその子の愛に対して,皆が深い感謝を感じられます。
14. イエスは弟子たちへの愛をどのように示しましたか。(画像も参照。)
啓示 2:10 — 受けようとしている苦しみを恐れてはなりません。悪魔は,あなたたちのうち幾人かを牢屋に投げ込んでいきます。そのようにして,あなたたちは十分に試され,10日の間苦難に遭います。たとえ死ぬことになっても,忠実であり続けなさい。そうすれば,あなたに命の冠を与えます。
回答 1: この聖句は,弟子たちの中には投獄される人もいることを示しています。記念式が簡素であるため,そのような状況でも従い続けることができました。記事の例からも分かる通り,イエスは複雑な儀式を要求せず,思いやりを示しました。
回答 2: 難しい儀式ではなく,簡素な食事を制定することによって愛を示しました。油そそがれた弟子たちは,何年もの間,さまざまな状況の中でイエスの死を記念する必要がありました。中には投獄される人もいました。イエスの指示は,不必要な重荷を負わせるものではありませんでした。このことから,イエスの愛は命を与えたことだけでなく,その死を記念するよう思いやりをもって求めた方法にも表れていることが分かります。
回答 3: 画像には,何世紀にもわたってエホバの僕たちが記念式を行ってきた様子が示されています。状況は異なっていましたが,式が簡素だったので,イエスの命令に従うことができました。この点から,弟子たちに対するイエスの思いやりが際立ちます。兄弟姉妹の可能性や限界を考慮し,不必要に事を難しくする期待を押し付けないことによって,イエスに倣えます。
15,16. 厳しい状況に置かれた兄弟姉妹は,どのようにして主の晩餐を行えましたか。(画像も参照。)
回答 1: ハロルド・キングは,中国の刑務所で外部との接触を断たれていた間も,記念式を行うためにできる限りのことをしました。手に入る物を使ってひそかに表象物を用意し,日付をできるだけ正確に計算しました。その時になると,独房で歌を歌い,祈り,聖書に基づく話をしました。独りでしたが,イエスに従う決意は揺らぎませんでした。彼の手本から,この祝いを非常に大切なものとして認識できます。
回答 2: 強制収容所にいた姉妹たちの一グループは,命を危険にさらして主の晩餐をひそかに行いました。白い布を掛けたベンチの上にパンとぶどう酒を置き,その周りに集まりました。電灯の明かりで見つからないよう,ろうそくを使いました。式が簡素だったので,そこでも行うことができました。姉妹たちの行動は,イエスに従うことをどれほど重視していたかを示しています。
回答 3: これらの兄弟姉妹は,持っていた手段を用いて,できる限りキリストの指示に従いました。恵まれた状況ではありませんでしたが,そのためにイエスの死を記念したいという願いを失うことはありませんでした。ハロルド・キングもその姉妹たちも,進んで行動する並外れた信仰を示しました。彼らの手本から,私たちが得ている便宜を認識し,記念式に出席できるという特権を当然のものと考えないよう学べます。
17. どんなことを自分に問いかけるのはよいことですか
ペテロ第一 3:8 — 最後に,皆が,一致した考え,仲間をいたわる気持ち,兄弟愛,温かい思いやりを持ち,謙遜であってください。
回答 1: イエスの愛にいっそう倣うにはどうしたらよいか,自分に問いかけるのはよいことです。ペテロは,共感を兄弟愛,温かい思いやり,謙遜と結び付けています。そのことから,自分に必要なものだけでなく,兄弟たちがどんな状況を経験しているかについても考えるよう励まされます。記念式の準備には,そうした特質が自分の接し方に表れているかを確かめることも含まれます。
回答 2: 兄弟たちの必要を自分の必要よりも優先して考えているか,自分に問いかけることができます。イエスが愛情深かったことを認めるのは簡単ですが,その手本によって自分の優先順位を変えることが課題です。記念式が近づく時,私たちは本当に他の人に注意を向けているかを調べることができます。もっとよく耳を傾けたり,いっそう関心を示したりする必要があるかもしれません。大切なのは,イエスの愛に対する感謝を,他の人への愛という形で示すことです。
回答 3: また,他の人に多くを期待しすぎていないか,その人たちの限界を考慮しているかを自分に問いかけるのもよいことです。イエスは,簡素な式を制定することによって思いやりを示しました。私たちは,一人一人を自分の期待だけで測るのではなく,それぞれの兄弟が何を行えるかを理解しようとすることによって,イエスに倣います。共感を示すなら,兄弟たちに愛情深く接し,不必要な重荷を負わせるような要求を避けることができます。
18,19. (イ)どんなことを確信できますか
コリント第一 11:26 — 皆さんは,このパンを食べ,この杯から飲むたびに,主の死を広く知らせるのであり,主が来るまでそれを続けるのです。
回答 1: 記念式は永遠に行われるわけではありません。しかし,記念式が行われなくなった後も,イエスについて教えてくれた事柄を愛情を込めて思い出すことができる,と確信できます。式が終わっても,イエスの犠牲に対する感謝や,イエスが示した謙遜,勇気,愛に対する称賛が消えることはありません。そうした特質は,これからも私たちにとって貴重な手本であり続けます。
回答 2: この簡素な祝いが,これからも私たちの記憶の中で大切な位置を占める,と確信できます。それによって,人間が示した謙遜,勇気,愛の最高の手本をいっそう深く認識できるようになります。やがて記念式を行う必要がなくなったとしても,記念式から学んだことは全て価値を持ち続けます。ですから今,その意味を深く考える機会を一つ一つ十分に活用するのは大切です。
回答 3: 記事は,イエスが大患難の時に来て,地上に残っている選ばれた者たちを天に集める時,記念式が行われなくなると説明しています。しかし,記念式を祝った人たちは,その時に生きている人たちに記念式について話すことができます。そうした記憶は,その人たちがイエスの犠牲と,イエスが示した素晴らしい特質を認識する助けになるので,必ず益をもたらします。
18,19. (ロ)あなたは何をするよう努力しますか
回答 1: 学んだ3つの特質を称賛するだけでなく,それらに倣うよう努力します。記念式をきっかけに,もっと謙遜になり,エホバに従うのが難しい時にも忠実を保ち,兄弟たちにいっそう愛情深く接したいと思います。そうすれば,記念式の意味を今すぐ十分に生かせます。イエスの犠牲を思い出すことは,私の決定や生き方に実際の影響を与えるでしょう。
回答 2: 自分が心配事を抱えている時にも,他の人の必要についてもっと考えるよう努力したいと思います。亡くなる前の晩にイエスが示した手本から,励ましや慰めの言葉がどれほど人の助けになるかが分かります。イエスへの感謝が,そうした関心に表れるようにしたいと思います。そのためには,自分の問題にばかり注意を向けず,もっとよく耳を傾けることを学ばなければなりません。
回答 3: 贖いによって得られる希望について思い巡らし,勇気を強めるよう努力します。試練に直面してから初めて,エホバとイエスが自分のためにしてくださったこと全てを考える,ということはしたくありません。記念式の聖書朗読は,その感謝を深める助けになります。その感謝によって,決意を込めて伝道を続け,迫害を受けている兄弟たちを支えたいと思います。
記念式から,イエスの並外れた謙遜についてどんなことを学べますか
ヘブライ 7:24-25 — しかし,イエスは永遠に生き続けるので,誰かが祭司職を引き継ぐことはありません。 そのためイエスは,自分を通して神に近づく人たちを完全に救うことができます。常に生きていて,彼らのために願い出てくださるからです。
回答 1: 記念式は,他の人に益をもたらすことに関心を持つ謙遜な王を思い出させます。ヘブライ人の手紙は,イエスが今も私たちのために願い出てくださっていることを示しています。記事が強調しているように,イエスが地上で示した特質は,天での奉仕にも表れています。高い立場に就いているからといって,助けを必要とする人たちへの関心を失ったわけではありません。
回答 2: イエスは,自分に不当に注目を集めようとはしなかったことを教えています。歴史上最大の犠牲を差し出そうとしていたにもかかわらず,自分の記憶をたたえるための複雑な祝いを制定しませんでした。簡素で,深い意味のあるものを選びました。そのことは,イエスの謙遜が深いものだったことを示しています。私たちも,人の注目を集めようとしたり,奉仕に価値があると認めてもらうには大きな称賛が必要だと考えたりせずに,イエスに倣えます。
回答 3: 式が簡素であることは,イエスの生涯全体と調和しています。イエスは天での立場を捨て,他の人に仕え,死に至るまで従うことを進んで受け入れました。自分の重要性を際立たせる華やかな祝いを必要とはしませんでした。イエスの手本から,謙遜とは低い立場にいることではなく,どんな責任を担っていても,従順で進んで仕える態度を保つことだと理解できます。
主の晩餐を制定したすぐ後,イエスはどのように際立った勇気を示しましたか
ヨハネ第一 2:2 — イエスは私たちの罪を償うための犠牲です。私たちの罪だけでなく,全人類の罪のためです。
回答 1: イエスは,私たちのためにその犠牲を差し出すために必要な苦しみを受け入れました。聖句はその犠牲の益を強調しており,記事は,それを可能にするためにイエスが示した勇気を説明しています。イエスは,恥辱と死が待ち受けていたにもかかわらず,エホバに従いました。私たちがどれほどイエスの忠実さに依存しているかを考えると,その勇気をいっそう高く評価できます。
回答 2: イエスは,自分が冒瀆の罪で訴えられ,処刑されることを知っていましたが,父の望むことを受け入れることによって勇気を示しました。苦しみや恥辱によって従うのをやめることはありませんでした。イエスが最も気に掛けていたのは,エホバの名を尊び,統治する権利を擁護することでした。イエスの手本から,どんな困難も避けようとすることより,神への忠実さを大切にするよう学べます。
回答 3: イエスは,自分の心配事を脇に置いて使徒たちを備えたことによって勇気を示しました。使徒たちが直面する試練について話し,勇気を出すよう励ましたのです。自分だけが耐えたのではなく,他の人も強めました。これは私たちにとって重要な教訓です。反対に遭う時,忠実を保ち,兄弟たちも支えられていると感じられるようにすることによって,イエスに倣えます。
イエスがこの簡素な式を制定した時に並外れた愛を示した,と言えるのはなぜですか
コリント第一 11:26 — 皆さんは,このパンを食べ,この杯から飲むたびに,主の死を広く知らせるのであり,主が来るまでそれを続けるのです。
回答 1: この命令はイエスが来る時まで守り続けなければなりませんでした。イエスは簡素な式を制定することにより,その期間中ずっとそれを祝う弟子たちに配慮を示しました。記事に出てくる経験から分かるように,弟子たちは迫害の中でもそれを行うことができました。イエスの愛は,それほど重要な務めを不必要に複雑な式にしなかったことにも表れています。
回答 2: イエスは,自分の死を記念する人たちの置かれた状況を考慮したからです。手の込んだ儀式ではなく,さまざまな場所や状況で行える簡素な食事を求めました。ハロルド・キング兄弟や強制収容所にいた姉妹たちの例から,その簡素さがどれほど大きな助けになったかが分かります。イエスが弟子たちのために命を差し出しただけでなく,弟子たちにも配慮したことを考えると,心を動かされます。
回答 3: パンとぶどう酒は,イエスが私たちへの愛を最大限に表した犠牲に注意を向けさせます。同時に,祝いが簡素であることは,その愛を実際的な仕方で反映しています。イエスは弟子たちに不必要な重荷を負わせなかったのです。このことから,気持ちを行動で示すことの大切さを学べます。イエスに倣いたいなら,兄弟たちの必要や限界に配慮しなければなりません。
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