哀歌 2:1。「イスラエルの美が天から地に投げ落とされた」とはどういう意味ですか。(塔07 6/1 9ページ1節)
回答 1: イスラエルの美とは,エホバの祝福によって得ていた輝きと力のことでした。エルサレムが滅ぼされ,ユダの土地が荒廃した時,その高い地位は終わりました。ですから,これは文字通り天から落ちたという意味ではなく,恵まれた状態にあった民が深く辱められたことを表しています。
回答 2: この表現は,天の高さと地の低さの対比から理解できます。天は地よりはるかに高いので,そこから地へ落ちることは,高い地位にあるものが辱められることを表します。イスラエルの場合,エルサレムが滅ぼされ,ユダが荒廃した時に,その輝きと力を失ったことを示しています。
回答 3: 美という言葉は,単にエルサレムの見た目の魅力を指しているのではありません。説明が強調しているのは,エホバの祝福によってイスラエルが得ていた輝きと力です。ですから,地に投げ落とされたのはその高い地位でした。エルサレムの滅びとユダの荒廃によって,民に大きな尊厳を与えていた状態は終わりました。
回答 4: この詩的な表現は,2つの具体的な現実に対応していました。エルサレムは滅ぼされ,ユダの土地は荒廃しました。ですから,単に威信が低下したということではありません。都市と領土は,以前の輝きとは全く対照的な荒廃を経験しました。こうして,イスラエルの美が高い地位から深く辱められた状態へ移ったことが明らかになりました。
回答 5: 重要なのは,その美がエホバの祝福と結び付いていたことです。イスラエルの輝きと力は,エホバとは無関係のものではありませんでした。この表現は,民が享受していた状態と,滅びた後の状態を対比しています。恵まれた状態から荒廃へ変化したことが,天から地へ落ちたように表現されています。
今週の聖書朗読からどんな宝石を見つけましたか
哀歌 1から得られる宝石
哀歌 1:2 — 彼女は夜に激しく泣き,涙が頰を伝う。愛人は一人も慰めに来ない。友は皆,裏切り,敵となった。
コメント 1: 哀歌 1:2は,後で私たちを見捨てる人に頼ることがどれほどつらい結果になるかを示しています。エルサレムは昔の友たちから慰めを得られませんでした。このことから,気持ちの良い言葉だけに流されず,友を慎重に選びたいと思います。また,自分がどんな友でありたいかも考えさせられます。全てが順調な時だけでなく,誰かが支えを必要としている時にもそばにいたいと思います。
哀歌 1:3 — ユダは捕囚の身となった。苦悩し,重労働を課された。異国に住まなければならず,休み場は見つからない。苦難の中で,迫害する者たち皆に追い詰められた。
コメント 2: 哀歌 1:3では,捕囚に苦悩,奴隷状態,休みのなさが伴っていました。この節は,故郷を失い,慣れ親しんだものから遠く離れて暮らすことがどんな意味を持つかを考えさせます。つらい移住を経験した人に会った時,それを単なる住居の移転として片付けたくありません。辛抱強く話を聞くなら,その人の心配を理解し,より思いやりを示せます。
哀歌 1:4 — シオンへの道は嘆き悲しんでいる。誰も祭りに来ないからだ。彼女の門は全て荒れ果て,祭司たちはため息をついている。乙女たちは悲嘆に暮れ,彼女はひどく苦しんでいる。
コメント 3: 哀歌 1:4は,祭りに来る人がいなくなった道の悲しみを描いています。荒廃は,エホバを崇拝するために集まる機会にも及びました。この情景から,会衆と集まる機会を大切にしたいと思います。慣れで当たり前のものと見なしたくありません。兄弟たちと共にいて,一緒に崇拝に参加できることは,感謝すべき貴重なことです。
哀歌 1:5 — 敵たちが彼女の主人となり,気楽に過ごしている。彼女が多くの違反を犯したため,エホバが悲しみを味わわせた。彼女の子供たちは敵に追い立てられ,捕らわれた。
コメント 4: 哀歌 1:5は,エルサレムの苦しみが多くの罪と直接関係していたことを示しています。この場合,なぜ災難が起きたのかを記録が説明しているので,推測する必要はありません。エホバが崇拝者の行動を真剣に見ていることを思い出させられます。しかし慎重さも学べます。この特定の裁きから,苦しんでいる人は皆,何かの罪で罰を受けていると結論してはなりません。
哀歌 1:7 — エルサレムは,家のない苦悩の日々に,昔持っていたあらゆる貴重な物を思い出す。民が敵の手に落ち,誰も彼女を助けなかった時,敵たちは彼女の破滅を見てあざ笑った。
コメント 5: 哀歌 1:7で,エルサレムは苦難の中で,かつて持っていた貴重なものを思い出します。この対比から,祝福を失って初めて価値を認めやすいことを考えさせられます。困難に遭ってから霊的な助けや兄弟たちとの交友,エホバに仕える機会を大切にするのを待ちたくありません。今,そうした機会を活用し,受けている支えに具体的に感謝することで,感謝を示せます。
哀歌 1:8 — エルサレムは大きな罪を犯した。そのため,忌まわしいものとなった。彼女をたたえていた者たちは皆,今では見下げている。彼女の裸を見たからだ。彼女はうめき,恥じて背を向ける。
コメント 6: 哀歌 1:8は,エルサレムが受けていた栄誉と,重大な罪がもたらした恥を対比しています。過去の良い評判が,現在の良い行動に取って代わることはありません。人からどう見られるかだけを気にするのではなく,自分の行動と動機を守る必要があります。大切なのは,忠実な人に見えているかではなく,忠実に行動しているかです。
哀歌 1:9 — 彼女の汚れは裾に染み付いている。彼女は自分の将来を全く考えなかった。驚くほど落ちぶれ,誰にも慰めてもらえない。エホバ,私の苦悩を見てください。敵がおごり高ぶっています。
コメント 7: 哀歌 1:9は,エルサレムが将来を考えなかったことを示しています。これは非常に実際的な警告です。決定をする前に,目先の満足を超えて考え,それがエホバとの友情にどう影響するかを自問したいと思います。今は便利で魅力的に見えることが,後で困難をもたらすかもしれません。結果を考えるなら,一時的な利得のために最も大切なものを犠牲にせずに済みます。
哀歌 1:11 — 彼女の民は皆ため息をつき,パンを探している。貴重な品と引き換えに食べ物を得て,生き延びようとしている。エホバ,ご覧ください。私は無価値な女のようになってしまいました。
コメント 8: 哀歌 1:11は,食物を得て生き延びるために貴重品を手放す人たちを描いています。そのような状況では,所有物は思ったほどの安心を与えませんでした。このことから,物質的なものについて平衡の取れた見方を保ちたいと思います。役立つものではありますが,生活の中心に置く価値はありません。また,基本的な物さえない人に対して,必要のない物に執着せず寛大でありたいと思います。
哀歌 1:12 — それは道を行くあなた方にとってどうでもいいことなのですか。目を留めて,見てください!私に与えられた痛みに匹敵する痛みがあるでしょうか。エホバの燃える怒りの日に味わった痛みです。
コメント 9: 哀歌 1:12は,誰も関心を示さないように感じながら見られている痛みを表しています。擬人化された都市は,通り過ぎる人に立ち止まって苦しみを見てほしいと願っています。私は時に,他の人の苦痛のそばを急いで通り過ぎていないか自問させられます。会衆では,静かにしている人や圧倒されているように見える人に注意を払えます。問題を解決できなくても,その人の経験を無関心に思っていないことを示せます。
哀歌 1:14 — 私の違反はくびきのように首にくくられています。神が自らそれをくくりました。私はそれを首に掛けられ,力を失いました。エホバは私を敵の手に渡しました。私は彼らに抵抗できません。
コメント 10: 哀歌 1:14では,罪が首に掛かる重いくびきに例えられています。不従順によってエルサレムが自由になったのではなく,重荷を負うことになった様子が分かります。エホバの命令を生活の楽しみを妨げるものと見なさないよう助けられます。悪い習慣に気付いたなら,放置して痛い結果を積み重ねるのではなく,正し,助けを求めるのが賢明です。
哀歌 1:18 — エホバは正しい方です。私がその方の命令に逆らったのです。全ての国の民よ,聞いて,私の痛みを見てください。私の乙女や青年たちは捕らわれてしまいました。
コメント 11: 哀歌 1:18は,エホバが正しい方であることを認めると同時に,その命令に反逆したことも認めています。エホバを不正の責任者にしようとはしていません。矯正を受ける時,自分の責任を認め,言い訳をしたり他人を責めたりしない態度を学べます。間違いを認めるのはつらくても,自分が不快に感じることと,助言が正しいことを区別できます。その正直さは,進路を直し始める助けになります。
哀歌 1:20 — エホバ,ご覧ください。私は窮地に陥っています。胸の内は激しく動揺しています。心が乱れています。あなたにことごとく逆らったからです。外では剣が命を奪い,家の中にも死があります。
コメント 12: 哀歌 1:20は深い苦悩を表す一方,自分の反逆も率直に認めています。エホバへの願いの中にその両方が含まれています。間違いの結果がなくなるよう願うだけでなく,自分の悪かった点も正直に話すよう励まされます。責任を隠さずに痛みをエホバに伝え,謙遜な態度で状況に対処できるよう助けを求められます。
哀歌 2から得られる宝石
哀歌 2:3 — 神は怒りに燃え,イスラエルの力を全て断った。敵が近づいてくると,神は右手を引き戻し,ヤコブの中で火のように燃え続けて,周囲を焼き尽くした。
コメント 1: 哀歌 2:3は,エホバが保護を取り去るとイスラエルの力が役に立たなかったことを示しています。自分の能力や経験によって霊的な安全を測ってはならないと思わされます。できることは活用しつつも,自力で全てを解決できると考えないようにします。何よりもエホバとの関係を守ることが大切です。
哀歌 2:6 — 神はご自分の仮小屋を,庭園にある掘っ立て小屋のように手荒く扱い,ご自分の祭りを終わらせた。エホバはシオンで祭りと安息日を忘れさせ,激しい憤りを表し,王や祭司を気に留めない。
コメント 2: 哀歌 2:6は,エホバが裁きを執行した時,王にも祭司にも特別な配慮を示さなかったことを述べています。地位があっても,エホバに対する責任を免れることはありません。奉仕の特権が従順に取って代わることはないと分かります。責任を与えられたなら,それを仕える機会と見なし,行動に関係なくエホバの是認が保証された印とは見なしたくありません。
哀歌 2:7 — エホバはご自分の祭壇を退け,ご自分の聖なる所を見捨てた。防備された塔の城壁を敵の手に渡した。彼らはエホバの家の中で,祭りの日のように声を上げた。
コメント 3: 哀歌 2:7は,エホバが祭壇と聖なる所を退けたと述べています。それらは崇拝と関係していましたが,存在しているだけで不従順の結果から民を守ることはありませんでした。外面的な崇拝の形式と,それに伴うべき行動を区別する助けになります。集会場所にいることだけに奉仕を限らず,そこで学んだことを週の間の行動にも反映させたいと思います。
哀歌 2:9 — 彼女の門は地面に沈み込んだ。神はかんぬきを打ち壊した。王と高官たちは異国の人々の中にいる。律法はなく,預言者たちはエホバからの幻を見ない。
コメント 4: 哀歌 2:9は,都市の門や防備を失っただけでなく,律法がなく,預言者たちもエホバから幻を受けなくなったことを描いています。荒廃には霊的な導きの欠如も含まれていました。神の言葉に近づけることを大切にしたいと思います。決定の導きを求める時,自分の解決策を試した後で聖書に頼るのではなく,初めから聖書を重視したいと思います。
哀歌 2:10 — シオンの長老たちは地面に座って黙り込む。頭に土をかぶり,粗布をまとう。エルサレムの乙女たちはひれ伏した。
コメント 5: 哀歌 2:10では,長老たちが黙って座り,若い女性たちは頭を下げています。苦痛はいつも多くの言葉で表されるわけではありません。誰かの沈黙を冷たさや無関心と早合点しないよう助けられます。説明できないほど苦しんでいるのかもしれません。そばにいたいなら,時間を与え,いつでも助けられるようにし,話す準備ができる前に無理に話させないことができます。聞くには沈黙を尊重することも含まれます。
哀歌 2:11 — 私の目は涙を流して疲れ切った。胸の内は激しく動揺している。肝臓は地面にこぼれ出た。私の民が落ちぶれたために。町の広場で子供や幼児が気を失っているために。
コメント 6: 哀歌 2:11は,民の没落,特に子供や幼児の苦しみを見た非常に強い痛みを伝えています。エルサレムが罪を犯したことを認めても,筆者はその悲劇を冷淡に見てはいません。エホバの基準を真剣に受け止めることと,同情心を示すことは両立します。誰かが痛い結果を経験している時,その間違いを理由に冷たくなったり,苦しみに関心を失ったりしたくありません。
哀歌 2:13 — エルサレムよ,私はどんな例を示し,あなたを何になぞらえたらよいだろうか。処女であるシオンよ,あなたを何と比べたら慰めることができるだろう。あなたの崩壊は海のように大きい。誰があなたを癒やせるだろうか。
コメント 7: 哀歌 2:13で,筆者はエルサレムを慰められる比較を探しますが,災いが非常に大きいことも認めています。誰かを励ます時に謙遜であることを学べます。その痛みを和らげる言葉がいつも見つかるとは限らず,理解を示すために別の状況と比較する必要もありません。簡単な説明を急いで与えるより,その人が経験している困難を認めて話を聞く方が思いやり深い場合があります。
哀歌 2:14 — 預言者たちがあなたに関して見た幻は,偽りでむなしい。彼らはあなたの過ちを明らかにせず,あなたが捕らわれるままにした。人を惑わす偽りの幻について,あなたに伝え続けた。
コメント 8: 哀歌 2:14は,預言者たちが民を惑わし,過ちを明らかにしなかったことを示しています。彼らの言葉は捕囚を避ける助けになりませんでした。有益な助言は,いつも聞きたいと思うものとは限りません。聖書に基づいて直すべき点を指摘されたなら,謙遜に調べたいと思います。安心させる言葉だけを好むなら,問題が深刻になる前に変化するために必要な警告を受けられないかもしれません。
哀歌 2:15 — 通り掛かる人は皆,あなたに向かってあざけるように手をたたく。驚いて口笛を吹き,エルサレムに向かって頭を振り,こう言う。「これが,『美しさの極み,全世界の喜び』と言われていた都市なのか」。
コメント 9: 哀歌 2:15は,エルサレムが倒れたのを見てあざ笑う人たちを描いています。その反応は,すでに痛ましい状況に恥を加えました。誰かが威信を失ったり,間違いが公になったりした時,自分がどう反応するかを吟味したいと思います。あざけりに加わったり,不幸を娯楽にしたりしたくありません。その人の行動を是認しなくても,敬意を保ち,恥を増すだけの話を広めないようにできます。
哀歌 2:17 — エホバは行おうとしていたことを行った。ご自分が言ったことを,ずっと昔に命じたことを実行した。容赦なく打ち壊し,敵があなたのことで喜ぶようにした。敵たちの力を強くした。
コメント 10: 哀歌 2:17は,エホバが昔から告げていたことを実行したと強調しています。時間がたっても,エホバの言葉は効力を失いませんでした。結果がすぐに現れなくても,聖書の警告を真剣に受け止めるよう教えられます。遅れを,悪い行動を続けてよいという許可と考えるのは間違いです。直すべき点に気付いたら,状況に強制されるまで待たず,今エホバの導きに応じるのが賢明です。
哀歌 2:19 — 立ち上がれ!夜に,見張りが始まる時に叫べ。エホバの顔の前に,心を水のように注ぎ出せ。その方に向かって両手を上げて祈れ。どの街角でも飢えて気を失っている子供たちの命のために。
コメント 11: 哀歌 2:19は,心にある全てをエホバに表し,子供たちの命のために嘆願するよう勧めています。祈りが自分の痛みだけでなく,特に無力な人たちにも注意を向けていることが印象に残ります。祈りに他の人の具体的な必要も含めたいと思います。習慣的に名前を挙げるだけでなく,その人が経験していることを考え,真の関心を込めてエホバに話せます。
哀歌 2:21 — 少年も老人も死んで,通りに横たわっています。私の乙女や青年たちも剣によって倒れました。あなたは怒りの日に彼らを容赦なく殺しました。
コメント 12: 哀歌 2:21は,破滅の犠牲者の中に若者も年配者もいたことを述べています。この詳細から,エルサレムの没落を単なる歴史上の出来事とは見られません。そこにはさまざまな年齢の人々と,打ち砕かれた家族がいました。聖書の難しい記述を読む時,その人間的な側面を理解する時間を取りたいと思います。また,地域社会が悲劇に遭った時,若者も年配者も注意を向けてもらう必要があり,誰の必要も見過ごすべきではないと分かります。
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