テーマ: エホバは公正で憐れみ深い裁判官
不公正や誇り,残酷な行為を目にすると,これほどの害をもたらした人たちがいつか責任を問われるのだろうか,と思うかもしれません。エレミヤ 48章は,安心感を与える答えを示しています。エホバは国々や人々の行動を注意深く見ています。エホバの裁きは衝動的でも過度でもありません。常に公正であり,処罰を執行しなければならない時にも,憐れみがはっきり表れています。
モアブに対する預言は,エホバの心をいっそうよく知る助けになります。モアブが裁かれたのには理由がありました。モアブは神の民に反対し,軽蔑を示していました。それでもエホバは,モアブが苦しむことを喜んだわけではありません。希望への扉を完全に閉ざしたわけでもありません。公正,思いやり,憐れみという3つの面がどのように完全に調和しているかを考えましょう。
モアブにはイスラエルに反対してきた長い歴史がありました。ユダがバビロニア人を通してエホバから懲らしめを受けた時,モアブ人はエホバが行動していることも,ユダがエホバの民であることも認めませんでした。それどころか,あざ笑いました。隣人が辱められるのを見て喜んでいるようでした。その態度は,ユダに対する敬意だけでなく,ユダが仕えていた神に対する敬意も欠いていることを示していました。
エレミヤ 48:27,29,42 — あなたはイスラエルをあざけったのではなかったか。彼が泥棒の仲間でもあるかのように,彼に向かって頭を振り,非難したではないか。 「私たちはモアブの誇りについて聞いた。彼は非常に傲慢である。彼の高慢さ,誇り,傲慢さ,おごり高ぶった心について聞いた」。 「『モアブは滅ぼし尽くされ,存在しなくなる。エホバに対して高ぶったからである。
この言葉から,なぜその裁きが公正だったのかが明らかになります。モアブはイスラエルをあざけりの対象とし,軽蔑して話していました。さらにエホバは,モアブの心にある誇りを見ていました。モアブは自分の重要性や資源や力を信頼していました。しかし最大の問題は,エホバに対して自分を高くしていたことです。誰もそのような態度を取って,結果を免れることはできません。
エホバは,ネブカドネザルに率いられたバビロニア人を用いてモアブに責任を問うと告げました。モアブの多くの都市は荒廃することになります。これは気まぐれな反応ではありませんでした。エホバは,ご自分の民に対する誇りや反抗やあざけりという,根深い行動に応じていたのです。その裁きが執行される時,モアブはエホバがどんな方か,また誰も傲慢にエホバに挑むことはできないということを知ることになります。
このことから,他の人の困難を決して喜ばないようにしたいと思います。ある人が悪い決定の結果を受けているのかもしれません。あるいは,痛みを伴う懲らしめを受けているのかもしれません。その人を非難したり,軽蔑して首を振ったり,自分の方が優れていると感じたりするべきではありません。エホバは心を見ています。間違いを犯した人であっても,苦しんでいる人に尊厳を示すことをエホバは喜ばれます。
誇りが自分の考え方に影響していないかを考えるのもよいことです。自分の能力や持ち物や経験を過度に頼る時に,誇りが表れることがあります。他の人について話す仕方に表れることもあります。モアブに対する預言は,エホバが心の高慢さに注目していることを思い出させます。謙遜さは私たちを守り,エホバに近づけます。
とはいえ,エホバが公正であることは,冷たい裁判官だという意味ではありません。エホバにはモアブを処罰する十分な理由がありましたが,その災いを無関心に見ていたわけではありません。次の部分から,エホバの気持ちを感じ取ることができます。また,エホバの裁きには常に深い思いやりが伴っていることも分かります。
人間は時に,公正とは単に処罰することだと考えるかもしれません。しかしエホバは,はるかに優れたことを示しています。エホバは正しいことを擁護し,悪を見過ごしませんが,他の人が苦しむのを見て喜ぶことはありません。モアブの裁きに対するエホバの反応は,モアブがユダに示した誇り高く残酷な態度とは全く異なっていました。
エレミヤ 48:31,36 — それで,私はモアブのことで泣き,モアブ全体のために声を上げる。キル・ヘレスの人たちのために嘆く。 『そのため,私の心は笛のように,モアブのために嘆く。私の心は笛のように,キル・ヘレスの人たちのために嘆く。築かれた富が滅びるからだ。
エホバはモアブのために泣き,叫び,うめくと述べました。こうした表現は,本当の悲しみを伝えています。モアブは責任を問われるに値しましたが,その都市が破壊され,富が失われることは,エホバにとって喜びの理由ではありませんでした。エホバは,裁きがもたらす痛みに無感覚ではありません。エホバの思いやりに満ちた心は,公正な基準と完全に調和しています。
このことを知ると,どれほど慰められるでしょう。エホバがある人に自分の行動の結果に直面させる時や,愛する人を懲らしめる時,決して必要以上に厳しくはなさいません。屈辱を与えたり,打ちのめしたりすることが目的ではありません。エホバは,罪が痛みをもたらし,その結果が深刻なものになり得ることを知っています。それでも人々を深く気遣い,導きから益を得てほしいと願っています。
私たちを失望させた人に接する時,その態度に倣えます。家族や仲間のクリスチャン,あるいは助けてきた人が,間違った道に進むことがあるかもしれません。悪いことを軽く見たり,エホバの基準を無視したりはしません。しかし,厳しい口調になったり,その人が恥をかくのを喜んだりしないようにします。クリスチャンの公正さには常に思いやりが伴うべきです。
モアブの災いに対するエホバの思いやりは,さらに心を動かす真理への道を開きます。エホバの裁きは,モアブ人には誰にも将来がないという意味ではありませんでした。エホバは毅然と懲らしめると同時に,回復の可能性を残すことができます。その憐れみは,預言の最後の言葉に表れています。
モアブに対する裁きを述べた後,エホバは意外に思える約束を加えました。モアブの傲慢さの結果を預言から取り除いたわけでも,裁きの重大さを和らげたわけでもありません。しかし,目的が処罰だけではないことを示しました。懲らしめの後でさえ,エホバは回復への見通しを与えることができました。
エレミヤ 48:47 — しかし,私は最後の日々に,捕らわれているモアブの人々を集める』と,エホバは宣言する。『ここまでがモアブに対する裁きの言葉である』」。
やがて,バビロンを征服したキュロスは,モアブ人の流刑者が故国に戻ることを許しました。このようにして,エホバがモアブの捕らわれ人を集めるという約束が果たされました。この点から,エホバが裁きの瞬間を越えて物事を見ていることが分かります。エホバは,ご自分の民の敵だった民族の出身者にも憐れみを示すことができます。
この預言は,エホバの憐れみに対する信頼を強めます。誰も,自分はエホバから遠く離れ過ぎている,過去のために希望が全くない,と考えるべきではありません。エホバは一人一人の状況を全て知っており,人々がエホバの導きに応じることを願っています。ですから機会がある限り,エホバにまだ仕えていない人たちに対しても,エホバの辛抱強さと関心を示し続けます。
大患難が始まった後でさえエホバが憐れみを示す可能性があることを考えると,私たちの伝道がなぜそれほど緊急なのかがよく分かります。今話すことが,誰かの心に残るかもしれません。今は反応しなくても,予告された出来事が実現するのを見た時にそのメッセージを思い出し,手遅れになる前にエホバの側に付くことを決意するかもしれません。
以前は家族と一緒にエホバに仕えていたものの,離れてしまった人について考えてみましょう。その人は,学んだことやエホバに仕えていた時の幸せな思い出を持っているかもしれません。私たちの敬意のこもった警告と希望のメッセージを聞けば,そうした真理が心を動かす可能性があります。人がどう行動するかは分かりませんが,エホバはその人の内面を見ており,反応できるよう助けることができます。
ですから,考えるべき実際的な質問はこうです。エホバの憐れみは,今どんなことをするよう私たちを動かしますか。巧みさと辛抱強さと確信をもって警告を伝え続けるよう動かします。人を有罪とするために伝道しているのではありません。人々がエホバを知り,エホバの側に付く機会を持つことを願っています。エホバの憐れみは,誰に対しても簡単に諦めないよう私たちを動かします。
モアブに対する預言は,エホバが公正な裁判官であることを裏付けています。エホバは誇りやご自分の民に対する虐待を見過ごしません。しかし同時に,エホバが深く憐れみ深い方であることも裏付けています。苦しみを喜ばず,懲らしめの後に希望への道を開くことができるのです。
ですから,謙遜な態度を保ち,他の人の困難を喜ばず,誰に対しても思いやりを示しましょう。そして,緊急感を持ってエホバのメッセージを伝え続けましょう。そうするなら,常に公正なことを行い,決して憐れみを失わない裁判官であるエホバに倣えます。
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