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2026年11月2日から8日の週の「神の言葉の宝」

2026年11月2日から8日の週の「神の言葉の宝」

テーマ: エホバの憐れみから益を得られるよう他の人を助ける

重大な間違いを犯した人は,自分はもう神に近づく機会がないと思うかもしれません。一方,世の中に非常に多くの悪があるのを見て,なぜ神は悪を終わらせないのだろうと思う人もいます。エレミヤ 50章は,そうした2つの状況にエホバがどう対処するかを理解する助けになります。エホバは悪を見過ごしませんが,悔い改める人を退けることもありません。このバランスを理解すると,他の人がエホバの憐れみから益を得られるよう助けたいという気持ちになります。

まずバビロンについて考えましょう。バビロンが有罪とされたのは,エホバの気まぐれな反応によるものではありません。バビロンは重大な罪を犯し,エホバに対して傲慢に振る舞っていました。この強国がなぜ責任を問われることになるのかは,預言の中ではっきり説明されています。エレミヤ 50章14節,29節,31節を読みましょう。

エレミヤ 50:14,29,31弓を曲げる者は皆,戦闘隊形を組んで四方からバビロンを攻めよ。彼女に向かって射よ。矢を惜しむな。彼女はエホバに対して罪を犯したからだ。 バビロンを攻めるために,弓を射る者たちを集めよ。弓を曲げている者たちを皆。彼女の周囲に陣営を張り,一人も逃がすな。彼女の行いに応じて返報せよ。彼女がした通りのことを彼女に行え。彼女はエホバに対して,イスラエルの聖なる者に対して,高慢に振る舞ったからである。 主権者である主,大軍を率いるエホバはこう宣言する。「反抗的な者よ,私はあなたに敵対している。あなたの日,あなたに責任を問う時が必ず来る。

エホバが挙げている理由に気付きましたか。バビロンはエホバに対して罪を犯し,傲慢に振る舞い,反抗的でした。それは一度だけの間違いではありません。バビロンの行動は,反抗する態度を示していました。さらに,バビロンが受けた処罰は,自分がしたことと関係がありました。エホバはバビロンの行いを知っており,バビロンがいつまでも害をもたらし続けることを許しませんでした。それで,バビロンに対する判決は公正の表れであり,憐れみの欠如ではありませんでした。

この点は,神の裁きが理解できない人と話す時に役立ちます。その人の不安に耳を傾け,エホバは偏見に基づいて行動する方でも,外見に惑わされる方でもないことを示せます。バビロンの場合,エホバは有罪とした理由を説明しました。エホバの憐れみは,悪が引き起こす苦しみに無関心だという意味ではありません。エホバの決定は常に公正であると確信できます。

ここから私たちも教訓を学べます。まだエホバを知らない人より自分の方が優れていると考えるのではなく,謙遜さを培いたいと思います。傲慢になると神からの導きを退けますが,謙遜であれば導きを受け入れて変化できます。では,罪を犯したものの悔い改める気持ちがあったイスラエル人はどうなったのでしょうか。この答えから,エホバは反抗的な人と悔い改める人を同じようには扱わないことが分かります。

イスラエルとユダが犯した罪は現実のものでした。それでもエホバは,民全体を見捨てたわけではありません。悔い改めたイスラエル人に,彼らが心から必要としていたものを与えました。それは許しです。エレミヤ 50章20節の約束を聞きましょう。

エレミヤ 50:20「その時,イスラエルの罪を探しても,それはどこにもなく,ユダの罪も見つからない。私は自分が残しておいた人たちを許すからである」と,エホバは宣言する。

とても慰められるイメージです。罪を探しても見つかりません。なぜでしょうか。イスラエル人が一度も罪を犯したことがなかったからではなく,エホバが彼らを許したからです。エホバの許しは完全なものでした。中途半端な和解を申し出たのではありません。傲慢なバビロンに対する判決とは何という違いでしょう。同じ神が,公正に裁く一方で,悔い改めてエホバのもとに戻りたいと願う人には憐れみを示そうとしているのです。

聖書を学んでいる人が,自分の過去をとても恥じているとしましょう。自分の間違いはあまりにも重大なので,エホバに近づくことなどできないと思っているかもしれません。私たちは,その人がしたことを軽く扱う必要も,変わる必要はないと安心させる必要もありません。次の約束を理解できるよう助けられます。エホバは完全に許すことができる,という約束です。その人の過去だけに注目するのではなく,今エホバに近づくためにどんな段階を踏めるかを考えられるよう助けましょう。

その人への接し方も,このメッセージに沿ったものであるべきです。憐れみについて話しているのに,冷たく接したりいら立ちを示したりするなら,エホバの愛を感じ取りにくくなるでしょう。敬意を込めて耳を傾け,努力を認めるなら,学び続ける助けになります。誰かが決して変わらないと判断するのは私たちの役割ではありません。許しに関する約束があるので,希望を持って人を見ることができます。その希望に動かされ,助けるために行動したいと思います。

エホバの憐れみは,許すという約束だけに限られませんでした。エホバの民には,バビロンから出るための指示も与えられました。神からのメッセージを知り,それに従って行動する必要がありました。知らせることと出るよう助けることの関係は,エレミヤ 50章2節と8節に示されています。読みましょう。

エレミヤ 50:2,8「国々の中で伝え,広めよ。旗印を掲げ,広めよ。何も隠してはならない!こう言え。『バビロンは攻め取られた。ベルは恥をかいた。メロダクはおびえた。彼女の像は恥をかいた。彼女の汚らわしい偶像はおびえた』。 「バビロンの中から逃げ,カルデア人の土地から出なさい。群れを率いる雄羊や雄ヤギのようになりなさい。

そのメッセージを隠してはなりませんでした。バビロンの没落によって,バビロンの偶像には民を守る力がないことが明らかになり,神の民はそこから出なければなりませんでした。捕囚にされていたユダヤ人は,その場所の偽りの宗教に染まってはなりませんでした。そうすれば,帰還して清い崇拝を回復する準備ができました。バビロン征服後,キュロスは彼らの帰還と神殿の再建を許しました。エホバは道を開きましたが,彼らはそれに応じなければなりませんでした。

今日,そのような憐れみにどう倣えますか。良い知らせを伝え,偽りの宗教から出られるよう他の人を助けることによってです。間違っている点を指摘するだけで終わりたくはありません。人々にエホバを知ってもらい,エホバの望むことを理解し,エホバに近づけることを分かってもらいたいと思います。大いなるバビロンに関する警告は重大ですが,それを伝える時の私たちの態度には,欺かれてきた人たちへの心からの関心が表れているべきです。毅然とした態度と厳しい態度を混同してはなりません。

例えば,ある人は自分が育った宗教に強い愛着を持っているかもしれません。その信条が,大切な家族の思い出と結び付いていることもあります。それをばかにしても,その人が耳を傾ける助けにはなりません。敬意を込めて質問し,その人の考えを理解し,聖書から筋道立てて話す方がよいでしょう。宗教の教えとエホバの教えの違いを,辛抱強く示せます。目的は議論に勝つことではなく,その人が神の憐れみから益を得られるよう助けることです。

また,こう自問できます。「もう一度訪問できる人,あるいは疑問に答えるためにもっと時間をかけられる人がいるだろうか」。学び続けるための励ましや,変化を遂げる間の支えを必要としている人がいるかもしれません。憐れみがあれば,情報を伝えるだけでなく,具体的な助けを差し伸べたいと思います。エホバが悔い改めた人をどのように扱うかを思い起こすなら,辛抱強く接することができます。同時に,一人一人が学んだことに従って行動することの大切さも見失いません。

エホバはバビロンを有罪とした時には公正であり,悔い改めたイスラエル人を完全に許した時には憐れみ深い方でした。私たちは,良い知らせを他の人に伝え,偽りの宗教を離れるよう助けることによって,その憐れみに倣えます。伝道する時,単に間違った考えを持つ人を見ているのではありません。エホバを知る必要がある人を見ています。私たちの言葉や辛抱強さ,助けによって,エホバがどれほど憐れみ深い方かを理解してもらえますように。

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