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2027年1月25日から31日の週の会衆の聖書研究

2027年1月25日から31日の週の会衆の聖書研究

エゼキエル

a. エゼキエル 18章19-22節によると,エホバは人が良い人か悪い人かをどのように判断しますか。

エゼキエル 18:19-22 — あなたたちは,「どうして息子は父親の罪を負わないのか」と言うだろう。この息子は,公正で正しいことを行い,私の法令を全て守ったので,必ず生き続ける。 罪を犯す人が死ぬのである。子が父の罪を負うことはなく,父が子の罪を負うこともない。正しいことをして報われるのは正しい人自身であり,悪いことをして処罰されるのは悪い人自身である。 もし悪い人が,自分が犯した全ての罪から離れ,私の法令を守り,公正で正しいことを行うなら,その人は必ず生き続ける。死ぬことはない。 その人は,犯したどの違反についても責められることはない。正しいことを行ったために生き続ける』。

コメント 1: エホバは,親や子供が何をしたかではなく,それぞれの人自身の行動に基づいて裁きます。これはエホバが完全に公正であることを示しています。ある家族に属しているというだけで有罪になる人はいません。また,家族が忠実だからといって,自動的に神に是認されるわけでもありません。誰でも,自分の決定によってエホバに従いたいと思っていることを示せます。

コメント 2: この箇所は,エホバが誠実な変化を考慮することも示しています。悪い行いをやめ,エホバが正しいと考えることを始めるなら,その人は過去のゆえにいつまでも有罪とされるわけではありません。このことを考えると,エホバに近づくことができます。エホバは悔い改めや変化しようとする努力を認めない裁判官ではないからです。

コメント 3: 良いことと悪いことを測る基準は,その人が自分についてどう考えるかではなく,エホバの基準です。この聖句は,エホバの是認が従順であることや公正に行動することと関係していると示しています。ですから,自分を調べる際には,他の人と比べるだけでは不十分です。自分の決定がエホバの教えに沿っているかを考える必要があります。

b. ゴグがエホバの民を攻撃するときのエホバの反応に注目してください(38:18,19,22)。このことについてどう感じますか。

エゼキエル 38:18-19 — 主権者である主エホバはこう宣言する。『その日,ゴグがイスラエルに攻め込む日に,私の非常に激しい怒りが燃え上がる。 私は熱意と,燃え盛る激怒のうちに話す。その日,イスラエルに大きな地震が起こる。

コメント 1: エホバがご自分の民への攻撃を無関心に見ているわけではないと知ると,守られていると感じます。エホバの反応は,ご自分の僕たちに起きることを深く気に掛けていることを示しています。攻撃について考えると不安になるかもしれませんが,この預言は,誰が私たちを守るのか,そしてエホバが行動する決意をどれほど固めているのかに集中するよう勧めています。

コメント 2: また,エホバに対する畏敬の気持ちも強まります。エホバの憐れみは,ご自分を崇拝する人たちへの攻撃をいつまでも許すという意味ではありません。エホバにはそれを止める力と権威があります。このことを考えると,エホバの辛抱強さを弱さと取り違えず,エホバが定めた時に行動することを信頼できます。

コメント 3: この約束は,将来への恐れと闘う助けになります。この記述は,ゴグがエホバの目的を阻むことができるとは述べていません。それどころか,エホバがご自分の民を守ることを示しています。攻撃の細かな点を想像しようとするのではなく,今エホバへの信頼と忠実であり続けたいという願いを強めることができます。

c. エホバはご自分の民に「祝福が雨のように降り注ぐ」と約束しています(34:26)。あなたの生活の中で,この言葉はどのように実現してきましたか。

エゼキエル 34:26 — 私は彼らと,私の丘の周囲を祝福し,良い時に雨を降らせる。祝福が雨のように降り注ぐ。

コメント 1: 1つの答え方は,エホバについて学んだことを考えることです。この書から,エホバの公正,憐れみ,そして僕たちを世話したいという願いについて知ることができます。そのような導きを得ていることは,個人的に大切にできる祝福です。自分の考えだけに頼るのではなく,確かな基準に基づいて決定する助けになります。

コメント 2: エホバを崇拝するために集まる機会についても考えられます。忠実なユダヤ人たちは,バビロンにいてもそうした集まりを大切にしました。私たちも,聖書を聞いて力づけられた具体的な機会を思い出すとよいでしょう。そうすれば,答えが一般的なものではなく,実際に受けた祝福への心からの感謝の表現になります。

コメント 3: エホバが与えてくださる希望も,とても個人的な祝福になります。エホバが約束を果たし,僕たちに平和な将来を与えたいと思っていることを知ると,前進し続ける理由が得られます。このコメントを準備する際,その希望が自分を実際にどのように助けてきたかを考えられます。ただし,エホバに仕えれば全ての困難がなくなるという意味ではありません。

a. エゼキエルが「人の子」と呼ばれているのはなぜですか。(3:17,「新世界訳」用語集)聖書の中で,ほかに誰がそのように呼ばれていますか。(マタ 20:28)

エゼキエル 3:17 — 「人の子よ,私はあなたをイスラエル国民の見張りに任命した。あなたは私の口から出る言葉を聞いたら,私からの警告を彼らに伝えなければならない。

コメント 1: エゼキエルを「人の子」と呼ぶことによって,彼が人間であることが強調されています。エゼキエルは特別な幻を見せられ,重要な任務を与えられていましたが,エホバに仕える人間であることに変わりはありませんでした。イスラエルに警告する権威は,エゼキエル自身から出たものではなく,彼を任命した方から与えられたものでした。エゼキエルは,エホバが語ることを伝えなければなりませんでした。

マタイ 20:28 — 人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来ました」。

コメント 2: マタイ 20:28で,イエスも自分を指してこの表現を使っています。その文脈でイエスは,仕えるため,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来たと説明しています。ですから,似た表現が使われているというだけで,エゼキエルとイエスが同じ役割を果たしたと結論してはなりません。文脈を見ると,それぞれの場合に何が強調されているかを理解できます。

コメント 3: これらの聖句は,エホバに仕える時に謙遜な態度を保つことにも役立ちます。エゼキエルは受けたメッセージを伝えなければならず,イエスは他の人に仕えることを強調しました。私たちに責任が委ねられたなら,大切なのは自分に注意を向けることではなく,その責任を忠実に果たし,人々のためになることを考えることです。

b. エゼキエル 17:16はどのように実現しましたか。(エレ 52:11)

エゼキエル 17:16 — 『主権者である主エホバはこう宣言する。「私は,生きている私自身に懸けて言う。彼はバビロンで死ぬ。そこは彼を王にした王が住む場所であり,彼はその王への誓いを軽んじ,王との契約を破った。

コメント 1: エホバは,ゼデキヤがバビロンで死ぬことを予告しました。それは,ゼデキヤが契約を破った王の住む場所でした。枠内の記事が説明している通り,エルサレムが滅ぼされた後,その通りになりました。この預言は王の没落を告げただけでなく,その命がどこで終わるかまで示していました。

エレミヤ 52:11 — それからゼデキヤを失明させ,銅の足かせをはめてバビロンに連れていき,死ぬまで牢屋に入れておいた。

コメント 2: エレミヤはその実現を記録しています。バビロンの王はゼデキヤを失明させ,バビロンに連れていき,死ぬまで牢屋に入れておきました。2つの記述を比べると,予告と,それを実現させた出来事をはっきり区別できます。これは,聖書の他の書がエゼキエルの預言を裏付けていることを示す具体的な例です。

コメント 3: この預言は,ゼデキヤが誓いを軽んじ,契約を破ったことにも触れています。ゼデキヤの最後を,その行動とは無関係な出来事として描いてはいません。このことから,エホバが約束を真剣に受け止めていることが分かります。同時に,預言が正確に実現したことによって,エホバの警告はどれも実現せずに終わることはないという確信が強まります。

c. マタイ 1章の系譜から,イエスに「法的権利」があり,「冠」を受けることが分かるのはなぜですか。(21:26,27)

エゼキエル 21:26-27 — 主権者である主エホバはこう言う。『ターバンを外し,冠を脱ぎなさい。それらがそのままになることはない。立場が低い者を高くし,高い者を低くしなさい。 私は,破滅,破滅,破滅をもたらす。法的権利を持つ者が来るまで,冠は誰のものにもならない。私はその者に冠を与える』。

コメント 1: エゼキエルは,冠を受ける法的権利を持つ者が来るまで,冠は誰のものにもならないと予告しました。マタイ 1章の系譜は,イエスがダビデの王家の家系につながっていることを示しています。ですから,この系譜は重要です。イエスを約束された家系とは無関係な者としてではなく,預言が実現する子孫として示しているからです。

コメント 2: 王座が長い間空位だったとしても,エホバの約束が無効になったわけではありません。系譜によってダビデとイエスのつながりが分かります。一方,エゼキエルは,エホバが冠をその権利を持つ者に与えると予告しました。これらの点を合わせると,時間がたっても神は約束したことを忘れないということを思い起こせます。

コメント 3: このつながりを考えると,聖書の系譜の価値が分かります。系譜は名前の羅列に見えるかもしれませんが,この場合,約束されたメシアを見分けるために欠かせない情報を含んでいます。また,ルカがダビデの王座について述べていることとも調和しています。イエスを王として信頼できる根拠は,エホバの約束と,それがどのように実現したかにあります。

a. 過去の過ちのためにつらく感じる時,エゼキエル 18:21,22の言葉はどのように助けになりますか。

エゼキエル 18:21-22 — もし悪い人が,自分が犯した全ての罪から離れ,私の法令を守り,公正で正しいことを行うなら,その人は必ず生き続ける。死ぬことはない。 その人は,犯したどの違反についても責められることはない。正しいことを行ったために生き続ける』。

コメント 1: この聖句から,エホバは人を過去の過ちによって永遠に決めつけるわけではないということが分かります。悪い人が悔い改め,悪いことをやめ,正しいことを行うなら,エホバはその変化を考慮します。ですから,そうした歩みをしているなら,過去のためにエホバの是認を受けたり良い関係を楽しんだりできない,といつまでも考える必要はありません。

コメント 2: この聖句は,後悔することと,罪悪感のために身動きが取れなくなることを区別する助けにもなります。エホバは道を示しています。悪い行いをやめ,正しいことを行うのです。ですから,今エホバに従うために努力できます。罪の重大さを軽く見るのではなく,エホバの憐れみによって本当の変化が可能になることを受け入れるのです。

コメント 3: 過去の過ちを思い出してつらくなる時は,自分の気持ちと,ここでエホバが保証していることを比べることができます。つらく感じるからといって,エホバが今も自分を有罪と見ているとは限りません。心から悔い改めているなら,エホバの許しを疑わないよう,その言葉が助けてくれます。平安を取り戻す根拠は,すべてを忘れることではなく,エホバが憐れみ深く裁く方法を信頼することです。

b. エゼキエル 3:18,19は,宣べ伝える業とどのように関係していますか。

エゼキエル 3:18-19 — 私が悪い人に,『あなたは必ず死ぬ』と言うのに,あなたがその人に警告せず,悪い生き方をやめて生き続けられるように諭さないなら,その悪い人は自分の過ちのために死ぬことになるが,私はその人の死の責任をあなたに問う。 一方,あなたが悪い人に警告したのに,その人が悪い行いや生き方をやめないなら,その人は自分の過ちのために死ぬが,あなたは自分の命を救うことになる。

コメント 1: エゼキエルにはエホバの警告を伝える責任がありました。メッセージを伝えにくいからといって,黙っていることはできませんでした。このことから,宣べ伝える業を真剣に受け止めるべきだと分かります。聖書のメッセージを伝えることは重要な務めです。エホバが語っていることを他の人が知るよう助ける責任を大切にしていることを示すからです。

コメント 2: この聖句は,伝える人の責任と,聞く人の決定を区別しています。エゼキエルは警告しなければなりませんでしたが,誰かに変化を強制することはできませんでした。宣教で反応が限られている時,この点は励みになります。私たちにはメッセージを上手に伝えるため努力する責任がありますが,それに対する各人の反応をコントロールすることはできません。

コメント 3: 警告の目的は,その人が悪い道を離れて生き続けることでした。ですから,自分の責任だけに目を向けるのではなく,聞く人の益も大切です。そのような関心を持って宣教するなら,明確かつ敬意を込めて話し,メッセージがエホバに近づく助けになるよう心から願います。

c. 長老たちはエゼキエル 34:11-16 から何を学べますか。(ペテ一 5:2)

エゼキエル 34:11-16 — 主権者である主エホバはこう言う。「私はここにおり,自ら自分の羊を捜し,世話する。 散らされた羊を見つけて養っている羊飼いのように,私は自分の羊を世話する。雲と濃い暗闇の日に散らされた全ての場所から,羊を救い出す。 私は羊をさまざまな民の中から連れ出し,国々から集めて,彼らの土地に連れていき,イスラエルの山の上で養う。川のほとりや,その土地の全ての居住地のそばで養う。 私は良い牧草地で羊を養う。羊はイスラエルの高い山の上で草を食べる。良い牧草地に横たわり,イスラエルの山の上で最良の牧草を食べる」。 主権者である主エホバはこう宣言する。「私は自ら自分の羊を養い,横たわらせる。 いなくなった羊を捜し,はぐれた羊を連れ戻し,けがをした羊に包帯をし,弱い羊を力づける。しかし,肥えた羊と強い羊を滅ぼし尽くす。私は彼らに処罰を食らわせる」。

コメント 1: エホバは自ら率先して羊を捜し,世話します。長老たちは,助けを求められるのをいつも待つのではなく,助けを必要としている人に関心を向けることによって,エホバに倣えます。この聖句には,いなくなった羊,けがをした羊,弱い羊が出てきます。このことから,誰もが同じものを必要としているわけではなく,世話をする際には一人一人の状況を考慮する必要があることが分かります。

コメント 2: エホバは,羊に食物を与え,休める場所を与えることにも関心を払います。長老たちにとって,これは,兄弟たちに聖書からの教えを与え,力づける仕方で接することの大切さを示しています。牧羊とは,組織上の事柄を扱うことだけではありません。一人一人が大切にされていると感じ,エホバに近づけるよう助けることも含まれます。

ペテロ第一 5:2 — 皆さんに委ねられた神の羊の群れを世話してください。強いられてではなく,神の前で進んで監督として奉仕し,不当な利益を得ようとしてではなく,真剣な態度で世話しましょう。

コメント 3: ペテロはさらに,長老たちは,義務感からではなく,自ら進んで熱心に群れを世話すべきであり,個人的な利益を求めてはならないと述べています。群れは神のものなので,長老たちにはそれを世話するという特権があります。このことを覚えているなら,自分の動機を吟味し,一人一人の兄弟を,エホバにとって価値のある人と見ることができます。単に処理すべき仕事の一つと見ることはありません。

4. この聖書の書から,ほかにもどんな価値ある宝を見つけましたか。

コメント 1: エゼキエルが示した従順の手本は価値があると思います。エホバはエゼキエルに,難しく普通ではない務めを与えましたが,エゼキエルは謙遜と勇気をもってそれを果たしました。このことから,自分にとって責任を果たすのが難しい時,どのように反応するかを考えさせられます。自分がどれほど不快に感じるかだけを考えるのではなく,エホバへの信頼を示す機会に目を向けることができます。

コメント 2: 神殿の幻の中で寸法が重要な役割を果たしていることにも注目できます。資料によると,エホバはその寸法によって,ご自分の公正な基準を強調し,清い崇拝が回復されることを確証していました。私にとっての教訓は,エホバをどのように崇拝するかを自分で決めるべきではないということです。エホバの基準を知り,喜んでそれを尊重しなければなりません。

コメント 3: もう一つの宝は,エルサレムが滅ぼされた直後に,エホバが希望を与えたことです。エホバは起きた事柄の重大さを隠しませんでしたが,ご自分の民を将来の希望のない状態にしたわけでもありません。このことから,エホバが助ける方法について学べます。エホバは厳しく正すこともありますが,同時に,立ち上がって前進する理由も与えてくださいます。

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