エゼキエル 31:18―この節は何を示しているようですか。(「ものみの塔」2011年1月1日号5ページ4節,脚注)
エゼキエル 31:18 — 『栄光や偉大さの点であなたに匹敵する木がエデンにあっただろうか。しかし,あなたはエデンの木々と共に必ず地下に下ることになる。剣で殺された者たちと共に,割礼を受けていない者たちの中に横たわる。ファラオとその群衆全てがそのようになる』と,主権者である主エホバは宣言する」。
回答 1: この比較はエデンの木々が消滅することを指しているようです。エホバは,ファラオがどれほど偉大であっても,その木々と共に地の深みに下ることになると告げました。これは庭園の場所を特定するものではありませんが,参照資料の説明とはよく調和します。その地域の景観が何世紀にもわたって変わらず保存されていると考えるべきではないのです。
回答 2: 重要なのは,この節がエデンの木々を比較に用いて,ファラオとその群衆の終わりを告げていることです。庭園の地理を説明したり,どこを探せばよいかを示したりしているわけではありません。ですから,参照資料の情報と結び付ける際には,比較が示していることと説明していないことを区別する必要があります。この聖句は転落を告げていますが,エデンの元の景観を復元することはできません。
回答 3: その景観が消滅したことについて,参照資料は大洪水の影響を強調しています。それは神に起因する大災害で,地球の地形を大きく変えた可能性があります。そのため,エデンの木々や川などが今も見分けられる状態で残っていると考えることはできません。ただし,エゼキエル 31章18節だけで,そうした変化がどのように生じたかを説明しているわけではありません。
回答 4: エデンの木々へのこの言及を理解するうえで役立つ別の点は,地表が絶えず変化していることです。記事によると,庭園があった可能性のある地域は地震活動が活発で,最大規模の地震の17%がそこで発生しています。ですから,大洪水に加えて,何世紀にもわたる変化も,現在の景観が元のものと大きく異なる理由になります。
回答 5: どれほど長い時間がたっていたかも考える必要があります。参照資料によれば,モーセがエデンについて書いた時には,出来事からおよそ2500年が過ぎていました。モーセにとってさえ遠い昔の歴史だったのです。ですから,エゼキエルがその木々に言及したことは,庭園が元の姿を保っていたという意味ではありません。経過した時間と地球の大きな変化を考えると,場所について早まった結論を出さないのが賢明です。
今週の聖書朗読からどんな宝石を見つけましたか
エゼキエル 31章の宝石
エゼキエル 31:1 — 第11年,第3の月の1日,エホバが再び私に語り掛けてこう言った。
コメント 1: エゼキエル 31章1節は,メッセージの源がエホバであることを示しています。預言者はエジプトについて自分の意見を伝えていたのではありません。このことから,集会で注解したり奉仕で教えたりする時,大切なのは自分の考えを印象的に述べることではなく,話すことを神の言葉にしっかり基づけることだと分かります。
エゼキエル 31:2 — 「人の子よ,エジプトの王ファラオとその群衆に言いなさい。『あなたは偉大さの点で誰に似ているだろうか。
コメント 2: エゼキエル 31章2節で,エホバはファラオに偉大さについて質問しています。行動の結果を告げる前に,比較について考えるよう促したのです。その教え方が印象に残ります。奉仕では,適切な質問をすれば,相手が自分の考えを吟味する助けになります。すぐに全てを説明するのではなく,敬意を込めて質問し,相手の答えによく耳を傾けられます。
エゼキエル 31:4 — 木は水によって大きくなり,深い泉によって高くなった。植えられた場所の周囲には川が流れ,野の全ての木を潤す幾つもの水路があった。
コメント 3: エゼキエル 31章4節は,木が受けた水によって成長したと説明しています。その偉大さは独力で生じたのではなく,成長を促す条件がありました。これは,受けている助けを認めることの大切さを考えさせます。何らかの責任で進歩したとしても,功績を全て自分に帰するのは道理に合いません。他の人から受けた教え,支え,機会を思い起こすなら,感謝を示し,自分について釣り合いの取れた見方を保てます。
エゼキエル 31:6 — 空を飛ぶ全ての鳥が大枝に巣を作り,野の全ての野生動物が枝の下で子を産み,人口の多い国の人々が皆,木陰に住んだ。
コメント 4: エゼキエル 31章6節は,多くの国の人々がその木の陰に住んでいたと述べています。このイメージは,人間の権力が与えているように見える保護を伝えています。しかし章の後半は,その木が倒れることを示しています。これは中立を保ち,人間のどんな強国にも希望を置かないよう助けます。何かが強く安定しているように見えても,信頼の土台としてエホバの位置を占めることはできません。
エゼキエル 31:8 — 神の園のほかのどの杉も,この木と比べものにならなかった。どのネズの木も,この木のような大枝はなかった。どのスズカケノキも,この木の枝には見劣りした。神の園のほかのどの木も,この木の美しさにはかなわなかった。
コメント 5: エゼキエル 31章8節は,その木の並外れた美しさを強調しています。しかし章が示す通り,印象的な外見は悪い行いの結果から木を守りませんでした。人の能力や存在感,良い成果だけでは,その人の霊的な状態を知ることはできません。他の人を評価する時も自分を吟味する時も,目立つものより行動と謙遜さを重視したいと思います。
エゼキエル 31:9 — 私はこの木を美しくし,枝葉を茂らせた。真の神の園であるエデンのほかの全ての木は,この木をうらやんだ』。
コメント 6: エゼキエル 31章9節では,木々の象徴的な描写の中にねたみが登場します。このイメージから,他の人の能力を見て自分の価値が低いと感じるのはどれほど簡単かを考えさせられます。会衆では,目立つために競う必要はありません。兄弟が自分にはない能力を持っているなら,それを他の人を助けるために用いていることを喜べます。そうすれば違いは,競争の理由ではなく感謝の理由になります。
エゼキエル 31:10 — それで,主権者である主エホバはこう言う。『この木は非常に高くなり,頂が雲に達し,その丈の高さゆえに心が高慢になったので,
コメント 7: エゼキエル 31章10節は,問題が心にあったこと,つまり木が高くなったために思い上がったことを示しています。成功は謙遜さを試すものになり得ます。褒められたり責任が増えたりしたら,私は他の人をどう扱っているかを考えるとよいでしょう。提案に耳を傾けているでしょうか。矯正を受け入れているでしょうか。経験が増すなら,よりよく仕える助けになるべきで,誰からも学ぶ必要がないと思わせるものになるべきではありません。
エゼキエル 31:11 — 私はこれを国々の強力な支配者に引き渡す。彼は必ずこれを攻め,私はこの木の邪悪さゆえにこれを退ける。
コメント 8: エゼキエル 31章11節でエホバは,その象徴的な木を悪のゆえに退けると説明しています。エホバの決定は気まぐれでも,その権力が印象的に見えたからでもありません。裁きには道徳的な理由があります。これはエホバの公正に対する信頼を強めます。権力のある人が悪を行っても,立場があるから何をしても許されると考える必要はありません。エホバは行動を見ており,人間の偉大さに惑わされません。
エゼキエル 31:12 — 外国人たち,国々の中で最も冷酷な者たちが,この木を切り倒し,山々の上に捨てる。枝葉は全ての谷に落ち,枝は折れて土地の全ての川に横たわる。地上の全ての民が木陰から出て,この木を見捨てる。
コメント 9: エゼキエル 31章12節は,木の陰に住んでいた人々が,木が倒れると見捨てると述べています。これは,利便性だけに基づく支えがどれほどもろいかを示しています。個人的には,会衆での友情をそのようなものにしたくありません。相手から得られるものだけを理由に近づきたいとは思いません。兄弟が困難に遭ったり,以前と同じことができなくなったりしても,愛情や交友,忠実な支えを必要としています。
エゼキエル 32章の宝石
エゼキエル 32:2 — 「人の子よ,エジプトの王ファラオに関する哀歌を歌い,彼に言いなさい。『あなたは国々の中で,若くて強いライオンのようだった。しかし,沈黙させられた。あなたは海の巨獣のようだった。自分の川の中で暴れ回り,足で水を濁らせ,川を汚した』。
コメント 1: エゼキエル 32章2節は,ファラオを川を汚す海の巨獣に例えています。その活動は周囲のものに害を与えました。これは自分の影響について考えさせます。自分の言葉や反応によって,会衆の平穏に貢献しているでしょうか,それとも緊張を高めているでしょうか。自分の存在が平和を促し,問題を複雑にするものではないようにしたいと思います。
エゼキエル 32:3 — 主権者である主エホバはこう言う。『私は多くの国の人々を集め,あなたに向かって網を投げさせる。彼らは私の引き網であなたを引き上げる。
コメント 2: エゼキエル 32章3節でエホバは,多くの国の人々によってファラオを網で捕らえると告げています。非常に強力に見えた者も,その決定が実行されるのを阻めませんでした。これは人間の力には限界があることを思い出させます。状況に圧倒されそうな時,関係する人の資力や影響力だけで全てを判断したくありません。エホバの権威を意識すれば,人間の力が全てを決めるわけではないと分かります。
エゼキエル 32:7 — 『あなたが消え去る時,私は天を覆い,星を暗くし,太陽を雲で覆う。月も輝きを失う。
コメント 3: エゼキエル 32章7節は,ファラオの終わりを闇のイメージで描いています。この預言の中で,その表現は転落がどれほど劇的かを伝えています。聖書は文脈と表現方法を考慮して読む必要があります。1つのイメージだけを取り出して想像で説明してはなりません。聖句について話す前に,誰に向けられたものか,どんなメッセージを伝えているかを確かめたいと思います。
エゼキエル 32:9 — 『私は多くの民の心を悩ませる。あなたの民を,捕虜として他の国々へ,あなたが知らなかった土地へ連れていく時に。
コメント 4: エゼキエル 32章9節は,捕虜と,エジプトの転落が他の民にもたらす苦悩に触れています。大きな出来事の背後には,苦しみ,知らない土地へ連れていかれる人々がいました。この点から,戦争や危機を強国の動きだけのように語らないことを学べます。奉仕で,そのような状況の影響を受けた人に会うことがあります。その人の経験に誠実な関心を示し,感受性をもって耳を傾けたいと思います。
エゼキエル 32:11 — 主権者である主エホバはこう言う。『バビロンの王の剣があなたを襲う。
コメント 5: エゼキエル 32章11節は,バビロンの王がエジプトを攻撃すると明確に述べています。いつか悪いことが起きるという漠然とした警告ではありません。エホバは具体的なメッセージを与えていました。これは聖書の記述の正確さを大切にし,説明の仕方に注意する助けになります。教える時,本文が述べていることと自分の推測を区別しなければなりません。明確に話すために,聖書にない詳細を加える必要はありません。
エゼキエル 32:12 — 私は,あなたの群衆が強い戦士たちの剣によって倒れるようにする。その戦士は皆,国々の中で最も冷酷な者たちである。彼らはエジプトの誇りをくじき,彼女の群衆は滅ぼし尽くされる。
コメント 6: エゼキエル 32章12節は,エジプトの誇りが打ち砕かれると告げています。その群衆が支えになることはありません。これは,何かを支持する人の数によって,エホバの是認が決まるわけではないことを思い出させます。決定をする時,多数派がしていることだけに流されたくありません。ある行動が人気で,良い結果をもたらすように見えても,エホバが正しいと考えることに沿っているかを調べる必要があります。
エゼキエル 32:15 — 『私がエジプトを荒れ果てた所にし,そこに満ちていたものを全て取り除く時,そこの住民を全て打ち倒す時,彼らは私がエホバであることを知らなければならなくなる。
コメント 7: エゼキエル 32章15節は,裁きが実行される時,エジプト人がエホバであることを認めなければならなくなると示しています。彼らはその存在と権威を無視し続けることはできません。これは,今エホバを知り,自分から近づけるという特権について考えさせます。名前を知っているだけで満足したくありません。その名を持つ方を敬い,その言葉を真剣に受け止めていることが,生き方に表れるようにしたいと思います。
エゼキエル 32:16 — これは哀歌であり,人々は必ずこれを歌う。国々の娘たちが歌う。エジプトとその群衆全てをしのんで歌う』と,主権者である主エホバは宣言する」。
コメント 8: エゼキエル 32章16節は,エジプトについての宣告を哀歌として示しています。それは当然の裁きでしたが,表現は結果がどれほど悲惨かを強調しています。これは神の裁きについて話す時の口調に注意する助けになります。厳しい言い方をしたり,人の苦しみを面白がったりするのはふさわしくありません。奉仕では,聞く人への感受性を失わず,聖書の警告を真剣かつ敬意を込めて伝えたいと思います。
エゼキエル 32:19 — 『あなたは美しさの点で誰に勝るというのか。下っていって,割礼を受けていない者たちと共に横たわりなさい!』
コメント 9: エゼキエル 32章19節のエジプトの美しさについての問いは,その特質が辱めを防げないことを際立たせています。外見はエジプトを守れませんでした。個人的には,自分のイメージへの関心を正しい位置に保つ助けになります。身なりを整えることと,外見によって自分の価値を決めることは別です。人から外見を褒められることより,エホバに喜ばれる特質を培うことに多くの努力を払いたいと思います。
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