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2027年1月4日から10日までの週の神の言葉の宝

2027年1月4日から10日までの週の神の言葉の宝

テーマ: 「もしかすると耳を傾けるかもしれない」

大切なことを誰かに話しているのに,その人が聞いていないように感じると,がっかりするかもしれません。宣教でそのようなことが何度もあると,自分の努力に意味があるのだろうかと思うこともあります。エゼキエルは,難しい状況の中で宣べ伝えなければなりませんでした。しかしエホバは,自分の働きを別の見方で見るよう助けました。その見方は私たちを励ますものでもあります。多くの人が聞こうとしなくても,耳を傾けようとする人がいるかもしれないのです。

エホバはエゼキエルに,反逆的な民に宣べ伝えなければならないと伝えました。エホバは,エゼキエルにとって実際よりも簡単な状況を示したわけではありません。彼が話す相手がどんな人たちかを,はっきり説明しました。そのため,エゼキエルは拒絶されても驚いたり,自分が失敗したと思ったりせずに済みました。預言者が何をしなければならなかったかを見る前に,メッセージを受ける人々についてエホバが何と言ったかを考えましょう。エゼキエル 12:1,2を読みましょう。

エゼキエル 12:1-2 — エホバが再び私に語り掛けてこう言った。 「人の子よ,あなたは反逆的な民の中に住んでいる。彼らは目があるのに見ず,耳があるのに聞かない。反逆的な民だからである。

問題は,その人々に目や耳がなかったことではありません。彼らは反逆的だったので,エホバが伝えていたことを受け入れようとしませんでした。ですからエゼキエルは,反応がないことを,自分に能力がないせいだと考えてはなりませんでした。参考資料によると,そのイスラエル人たちは預言者を拒絶することによって,エホバを拒絶していました。そのことを理解していたので,エゼキエルは否定的な反応を毎回,自分の失敗と受け止めずに済んだことでしょう。

さらに,エゼキエルは自分の考えでその任務を行っていたのではありません。エホバが彼を遣わし,支えていました。聖なる力が彼を強め,神の言葉を取り入れることが任務を果たす助けになりました。ですから,彼の確信は,良い反応があるかどうかに左右されませんでした。反対に遭っても前進し続ける理由がありました。誰がその仕事を任せたのかを思い出すことは,諦めないための確かな土台になりました。

このことは,会話がすぐに終わったり,誰かが聞こうとしなかったりした時に役立ちます。自分の話し方を謙遜に振り返ることはできますが,宣べ伝え方が悪かったと結論する必要はありません。また,私たちを拒む人が皆,そのイスラエル人のように反逆的だと考えてはなりません。その人の心の中は分からないからです。私たちの責任は,忠実かつ敬意を込めてメッセージを伝えることです。そしてエホバは,誰かが聞く可能性をすべて失ったと考えないよう教えてくださいます。

エホバはその民が反逆的であることを知っていましたが,エゼキエルに,彼らの注意を引くかもしれないことを行うよう指示しました。荷物を人目につかない所で準備するだけでは十分ではありませんでした。メッセージを伝える一連の目立つ行動を取る必要がありました。指示を聞く時,エゼキエルが何をしなければならなかったかだけでなく,それを見る人々に対するエホバの関心にも注目しましょう。エゼキエル 12:3-6を読みましょう。

エゼキエル 12:3-6 — 人の子よ,捕囚の身となるために荷物をまとめなさい。そして,昼間,人々の目の前で,捕囚の身となりなさい。人々の目の前で,捕囚の身として,自分の家から別の場所に行くのである。彼らは反逆的な民ではあるが,注目するかもしれない。 昼間,人々の目の前で,捕囚の身となるためにまとめた荷物を外に出しなさい。そして夕方,人々の目の前で,捕らわれて連れていかれる人のように去りなさい。 人々の目の前で壁に穴を開け,その穴を通って荷物を持ち出しなさい。 人々の目の前で荷物を肩に載せ,暗闇の中で持ち出すように。顔を覆って,地面が見えないようにしなさい。私はあなたをイスラエル国民に対するしるしとする」。

荷物をまとめ,昼間にそれを外へ出し,壁に穴を開け,暗闇の中で荷物を肩に載せて出ていくことには,それぞれ意味がありました。それは捕囚に連れ去られることを表していました。エゼキエルはイスラエルの家に対するしるしとなるのです。エホバは,人々が見ることのできる方法でメッセージを伝えていました。指示の中で,これらの行動を人々の目の前で行うべきことが繰り返し強調されています。

心を動かされるのは,エホバがそれを行うよう命じた理由です。まだ誰かが耳を傾ける可能性があったのです。エホバは,皆が変化するとも,エゼキエルの努力にすぐ反応するとも保証しませんでした。しかし,その民を,聞く機会を全く与える価値がないかのようには扱いませんでした。彼らが抵抗することを知っていても,伝え続けました。その態度は,宣教においてバランスの取れた希望を保つよう教えています。

例えば,誰かから忙しいと言われたなら,親切に答え,敬意を込めて会話を終えることができます。別の機会には,その人が聞こうとするかどうか分かりません。前向きな態度を保つとは,話したくない人に無理に話し続けることでも,その人が必ずメッセージを受け入れると決めつけることでもありません。私たちが,その人は決して受け入れないと決めないということです。その希望があれば,無関心な反応によって冷淡になることなく,心からの関心を持って宣べ伝え続けられます。

とはいえ,誰かが耳を傾ける可能性には,預言者の従順が伴わなければなりませんでした。エゼキエルは民の反応をコントロールできませんでしたが,エホバの指示を実行するかどうかは自分で決められました。行動する時が来た時,彼はどうしたでしょうか。その答えはエゼキエル 12:7にあります。読みましょう。

エゼキエル 12:7 — 私は命じられた通りにした。昼間,捕囚の身となるためにまとめた荷物を外に出し,夕方,壁に穴を開けた。暗くなると,人々の目の前で荷物を肩に載せて持ち出した。

エゼキエルは,努力を要する詳細な点も含め,命じられたことを実行しました。荷物を外へ出し,手で壁に穴を開け,暗くなってから荷物を肩に載せました。彼は,見ている人々の反応によって従うかどうかを決めませんでした。参考資料は,エホバが人々の見ている所で行動するよう指示していたので,エゼキエルには見ている人がいたと考えるのは自然だと述べています。彼の忠実さは人々の目に明らかでした。

私たちは,その預言的なしるしを演じる任務を受けてはいません。しかし,エゼキエルの従順に倣い,自分の行動も見られていることを覚えておけます。例えば,聖書について話すことを受け入れない近所の人がいても,私たちが親切にあいさつし,その人の決定を尊重し,思いやりを示しているのを見ているかもしれません。その人が態度を変えるとは言えません。それでも,私たちの良い行動が,その人が私たちについて持っている見方を考え直す理由になることがあります。

次の質問について考えるのは有益です。人々が私たちの良い行動に注目していることを知ると,メッセージを聞いてもらえない時にも前向きな態度を保つ上で,どのように助けになりますか。人々が感じ取るのは私たちの言葉だけではない,ということを思い出させてくれます。拒絶された時にどう反応するかも見ています。冷静さと敬意を保つなら,良い模範を示し続けられます。そうすれば,うまくいかなかった会話だけに思いを集中するのではなく,自分の信仰を示す機会を大切にできます。

ですから,無関心な反応に遭った時には,エゼキエルのことを思い出しましょう。エホバは民が抵抗することを知っていましたが,それでも聞く機会を与え続けました。そして預言者は忠実に任務を果たしました。私たちも,敬意を込めて話し続け,良い模範を示すことができます。誰が耳を傾けるようになるかは分かりません。しかし,前向きな態度を失わずに忠実であり続けることはできます。

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