エゼキエル
1,2. エゼキエル書はエホバの名についてどんなことを教えていますか。
エゼキエル 36:22 — 「イスラエル国民に言いなさい。『主権者である主エホバはこう言っている。「イスラエル国民よ,私が行動を起こすのはあなたたちのためではなく,あなたたちが行った先の国々で汚した,私の聖なる名のためである」』。
コメント 1: この聖句から分かるように,エホバが行動したのはイスラエル人に価値があったからではなく,ご自分の名を神聖なものとするためでした。何よりも重要だったのは,エホバについて語られたうそによって傷ついた評判を正すことでした。ですから,エホバの名を神聖なものとすることは,私たち個人の関心事よりも優先されるということが分かります。
コメント 2: エゼキエルがエホバの主権を強調していることに感銘を受けます。「主権者である主エホバ」という表現を200回以上使っています。神の名前を知っているだけでは十分ではありません。神の権威も認めなければなりません。エゼキエルが予告した出来事は,エホバが警告も約束も必ず果たすことを示すものになります。
コメント 3: エホバの名を神聖なものとすることは,私たちの幸福とも関係があります。エホバがご自分の僕たちに報いる時,僕たちはエホバが約束を果たす方であることをいっそうよく理解する,とこの書は説明しています。ですから,エホバの良い名を擁護しても,何か良いものを失うわけではありません。それは平和に暮らすという希望と結び付いています。
3. 約束されていたメシアについて,エゼキエル書からどんなことが分かりますか。
コメント 1: エゼキエルは,メシアがダビデの子孫で,ダビデの王座に就く法的権利を持つことを予告しました。その王座が非常に長い間空位になるとしても,エホバはご自分の約束を忘れていたわけではありません。イエスはこの預言を実現しました。約束の実現を待たなければならない時にもエホバを信頼できる,という確信が強まります。
コメント 2: 別の預言は,メシアをエホバが羊の上に立てる羊飼いとして描いています。段落では,この約束がダビデの子孫であるイエスに当てはまることが示されています。ですから,単に治める権威を持つ人というだけではありません。エホバが世話を任せた人たちを養い,気遣う方でもあります。
コメント 3: エゼキエルとルカ,ヨハネを比較すると興味深いことが分かります。ルカはイエスがダビデの王座を受けることを確証し,ヨハネはイエスが羊のために命を差し出す用意があることを示しています。この2つの点は補い合っています。イエスには治める権利があり,世話を受ける人たちをどれほど愛しているかを示したのです。
4. エゼキエルの幻から,エホバの組織の天の部分についてどんなことが分かりますか。
コメント 1: エゼキエルが見た天の兵車は,エホバの組織の天の部分が畏敬の念を抱かせるもので,よく組織されていることを示しています。この幻によって,目では見えないものを理解できます。天にはエホバの権威の下で活動する組織があるのです。
コメント 2: 幻からは,天使,特にケルブたちの活動についても幾らか知ることができます。エゼキエルは印象的な兵車だけを見たのではありません。エホバはこれらの霊者たちが活動する様子を示しました。そのことによって視野が広がり,エホバへの崇拝が地上だけに限られないことを思い起こせます。
コメント 3: エホバがこれらの幻を記録させてくださったことに感謝しています。天で起きていることのほんの一部しか見せていないとしても,エホバの組織をよりよく知る助けになります。読む時には,細かな点すべてについて推測するのではなく,エホバの偉大さと秩序について明確に教えている事柄に集中できます。
5. エゼキエル書はエホバについてどんなことを教えていますか。
コメント 1: エホバは不従順を見過ごすことなく,それでも憐れみ深い方だと教えています。エホバにはユダヤ人に憤る理由がありましたが,まず警告し,悔い改めるなら許す機会を与えました。その行動から,変化する機会を与えずに罰したいとは思っていなかったことが分かります。
コメント 2: エホバは民を懲らしめた時にも,世話をすることをやめませんでした。流刑を許しましたが,ユダヤ人を虐待する国々を処罰すると約束しました。これは,懲らしめが愛の欠如を意味するわけではないことを理解する助けになります。エホバは民を正しながら,同時に民を気遣うことができました。
コメント 3: エホバが罪の結果だけでなく,より良い将来についても語ったことに励まされます。ユダヤ人がエルサレムに戻り,祝福を受けると約束しました。警告と希望を組み合わせるエホバの教えから,エホバは矯正するだけでなく,立ち直れるよう助ける父親のような方だと分かります。
6. エゼキエル書にはどんな重要な教訓がありますか。
コメント 1: 一つの教訓は,人はそれぞれ自分の行動についてエホバに責任を負うということです。エホバとの関係が,家族や周囲の人の行動に左右されると考えてはなりません。それで,自分の決定を吟味し,エホバに従う責任を自分で担うよう励まされます。
コメント 2: 自分の行動はエホバとその評判に影響を与えるということも学べます。エゼキエルは,イスラエル人の不忠実さがエホバを悲しませたと説明しています。ですから,決定をする時には,自分にどんな結果が及ぶかだけでなく,エホバがどう感じるか,またエホバについてどんな印象を与えるかも考えるのがよいでしょう。
コメント 3: 私たちの命は,エホバの名を尊び,清い崇拝をささげることにかかっています。エホバを信じていると言うだけでは足りません。この書は,エホバに認められるかどうかが正しい行動と関係していることを示しています。適用は明らかです。私たちの崇拝は,毎日の行動に表れるべきです。
7. 預言者エゼキエルについてどんなことが分かりますか
コメント 1: エゼキエルはエルサレムで仕えていた祭司の息子で,その名前には「神は強める」という意味があります。紀元前643年ごろに生まれたと考えられています。こうした情報はエゼキエルの時代背景を知るのに役立ちますが,資料では誕生年を確定したものではなく,おおよそのものとして扱っています。
コメント 2: 紀元前617年,26歳ほどだった時にバビロンへ連れていかれました。その約4年後,エホバはエゼキエルを預言者に任命しました。ですから,エゼキエルは遠くから流刑について語っていたのではありません。自分自身がバビロンへ連れていかれたユダヤ人たちの中で生活していたのです。
コメント 3: エゼキエルはエレミヤ,ダニエル,オバデヤと同時代の人でした。エレミヤはユダで仕え,ダニエルとエゼキエルはバビロンにいました。このことを知っていると,それぞれのメッセージを関連付けて考えられます。エホバはさまざまな預言者を通して警告と導きを与えていました。エゼキエル書は,その時代の他の書にある内容を補うものとなっています。
8. エゼキエルの預言は誰に向けられていましたか
コメント 1: バビロンに流刑にされていたユダヤ人たちに向けられていました。エゼキエルのようにエルサレムが滅ぼされる前に到着していた人もいれば,その後に到着した人もいました。その読者を意識すると,エルサレムの状況と故国に戻る希望の両方について,この書が多く述べている理由を理解しやすくなります。
コメント 2: 流刑にされた人たちは厳しい状況に置かれていました。囲み記事では,バビロニア人が彼らをあざ笑っていたこと,またバビロンは捕虜を解放しなかったので,帰還は不可能に思えたことが説明されています。そのような状況で,エホバの約束には大きな価値がありました。人間の力に頼るのではなく,将来に目を向ける理由を与えたからです。
コメント 3: 流刑にされていても,忠実なユダヤ人たちは集まって聖書を読み,エホバを崇拝することができました。ですから,エルサレムから遠く離れて生活していたとしても,エホバとの良い関係を保つことは不可能ではありませんでした。この点から,私たちも状況が難しい時に,霊的食物を受け取る機会を十分に活用するよう励まされます。
9. バビロンにいたユダヤ人たちに,エホバは何を理解してほしいと思っていましたか
コメント 1: 自分たちがなぜ流刑にされたのかを理解し,エホバからの懲らしめを受け入れてほしいと思っていました。背教的な行いによって,エホバの名を汚していたからです。故国を失ったことを嘆くだけでは不十分でした。自分たちにも責任があることを認め,エホバが従順と,エホバの意志に沿った崇拝を受けるに値する方であることを理解しなければなりませんでした。
コメント 2: エゼキエルのメッセージの変化は重要です。エルサレムが滅ぼされる前,そこで行われていた恐ろしい事柄のゆえに,処罰を宣告しました。その後,希望を伝えました。エホバは民が現実に向き合えるよう助けただけでなく,懲らしめの後にも将来があることを示したのです。
コメント 3: 全員が同じ反応を示したわけではありません。エゼキエルをあざ笑った人もいれば,信じた人もいました。このことから,聖書に基づく矯正を受けた時の自分の反応について考えられます。不快に感じるからといって退けるのではなく,自分のどこを変える必要があるかを考えられます。懲らしめを受け入れるには,謙遜に耳を傾けることから始めなければなりません。
10. エゼキエル書はどのように構成されていますか
コメント 1: この書はおおむね年代順に並べられており,テーマ別にも構成されています。エゼキエルが任命された後,エルサレムの滅び,周辺諸国への処罰,イスラエルの回復という3つの大きな預言のグループが示されます。この分かりやすい構成のおかげで,読む時に内容を把握しやすくなります。
コメント 2: エゼキエルは多くの預言について,年,月,日を示しました。エホヤキン王が流刑にされた年を起点にしました。こうした日付があるので,メッセージを出来事と関連付け,前もって与えられた警告と,その後に語られた希望の言葉を区別できます。
コメント 3: この書の構成を見ると,処罰の宣告だけが収められているのではないことが分かります。最後の大きな部分はイスラエルの回復について扱っています。ですから,各節を文脈の中で読むことが大切です。そうするなら,エホバの公正だけでなく,民に与えた希望も理解できます。
11. エホバはエゼキエルにどんなことをするよう求めましたか。なぜですか
コメント 1: エホバは,幾つかのメッセージを行動で表すようエゼキエルに求めました。例えば,前にれんがを置いて横向きに寝たり,頭とひげをそったりしなければなりませんでした。そうした行動は奇妙に思えたかもしれませんが,目的がありました。流刑にされた人たちの関心を引き,メッセージの意味に注意を向けさせるためです。
コメント 2: また,荷物を用意して町の外へ運び出さなければならず,別の時には2本の棒を1つにまとめなければなりませんでした。エホバは全てのメッセージを同じ方法で伝えたわけではありません。こうした実演によって預言が目に見える形になり,見ている人たちはエゼキエルが何を伝えているのかに関心を持つ理由を得ました。
コメント 3: エゼキエルの例から,割り当てが普通ではなかったり難しかったりしても,従うことの大切さが分かります。エゼキエルはエホバから命じられたことを実行しました。私たちはそれらの預言を実演する必要はありませんが,自分の快適さよりもエホバの意志を優先する彼の意欲に倣えます。
12. エホバがエゼキエルを預言者に任命する前に,エゼキエルは何を見ましたか。
コメント 1: エゼキエルは,天が開き,神からの幻を受けるのを見ました。中でも,後にケルブと分かる,畏敬の念を抱かせる生き物を見ました。それで,預言者に任命される前に幻を見たことにより,エホバの組織の天の部分の偉大さを幾らか理解できました。
コメント 2: ケルブのほかに,天の兵車と,エホバの栄光に関係する輝きを見ました。記述が述べているのは幻であって,エゼキエルが文字通り神を見ていたということではありません。この点を考えると,資料が説明している範囲を超えることなく,エゼキエルが見たものを慎重に説明できます。
コメント 3: その幻の後,エホバはエゼキエルを預言者また見張りに任命しました。その任命には,人々が聞きたがらなくても警告を伝えることが含まれていました。記述の順序は重要です。まずエホバの栄光が強調され,その後,エゼキエルがエホバから受けるメッセージを忠実に伝える責任が示されています。
13. エゼキエルはどんな預言を演じましたか。
コメント 1: エゼキエルはエルサレムが包囲されることを演じました。囲み記事26Aは,バビロニア人が都市を包囲した時期とこの預言を関連付けています。この演技は,起こり得る事柄を単に描写したものではありません。エホバからの警告を伝えるものであり,後に具体的に成就しました。
コメント 2: また,エルサレムの住民が飢えることも演じました。囲み記事は,この警告を,包囲中に食物が不足したことについての列王記第二の記述と関連付けています。預言とその成就を比較すると,エホバの警告が根拠のない脅しではなかったことを確かめられます。
コメント 3: エホバはエゼキエルに,頭とひげをそり,髪をどうするかを指示しました。その演技は,エルサレムが滅ぼされた時に住民がどうなるかを示しました。その後,エゼキエルは偶像崇拝に対して預言しました。これらの場面は,不従順と裁きという背景の中で理解する必要があります。
14,15. エホバはエルサレムについて何を予告しましたか。
コメント 1: エホバは,そこで行われていた忌まわしい行いのためにエルサレムを処罰すると予告しました。幻の中で,ある男性がその状況を嘆いている人たちに印を付け,その後,印の付いていない人たちが処刑されました。この幻は,悪に対する態度がエホバにとって重要だったことを強調しています。
コメント 2: エゼキエルは流刑も演じ,エルサレムが滅ぼされることを知らせました。偽預言者たちは,メッセージによってその結末を防ぐことはできませんでした。このことから,安心させるような主張をエホバの約束と取り違えないことを学べます。決定的だったのは神が語ったことです。ある人たちが聞きたがっていたことではありません。
コメント 3: しかし,そのような警告の中でも,エホバは流刑にされた人の一部がエルサレムに戻ることを知らせました。都市に対する裁きは,希望が全て消えたという意味ではありませんでした。この点から,メッセージのバランスが分かります。エホバは悪を軽く見ることはありませんが,ご自分の民を回復するという目的を忘れたわけでもありません。
16-18. エホバはどんな比較を用いましたか。
コメント 1: エホバはエルサレムを,薪にする以外には役に立たないブドウの木や,とても愛されていたのに不忠実になった妻に例えました。どちらのイメージも,起きたことの重大さを示しています。都市はエホバが期待したことを果たしておらず,住民はエホバの愛に不忠実さで応えました。
コメント 2: さらに,サマリアとエルサレムを,売春をする2人の姉妹に例えました。サマリアはすでに滅ぼされていましたが,エルサレムはその出来事から学んでいませんでした。この比較から,不従順の結果を知っているだけでは十分でないことが分かります。警告の例が本当に自分の行動に影響を与えるようにしなければなりません。
コメント 3: ゼデキヤは枯れるブドウの木で表され,エルサレムは火に入れなければならないさびた鍋に例えられました。これらは確実な裁きを伝える強いイメージです。しかし,同じ文脈には希望も残されています。エホバは一人一人を裁き,やがて約束されたメシアに王国を与えるのです。
19,20. エホバはどの国々を,なぜ断罪しましたか。
コメント 1: エホバはアンモン,モアブ,エドム,フィリスティアを断罪し,さらにティルスとシドンに対する裁きも予告しました。文脈から分かる通り,これらの国々はエルサレムの没落を喜びました。エホバがご自分の民を懲らしめたからといって,他の人たちにその民を憎んだり苦しみを喜んだりする権利が与えられたわけではありません。
コメント 2: 29章から32章には,エジプトに対するメッセージが収められています。エホバはバビロンがエジプトを侵略すると知らせました。このように,この書はエホバをイスラエル国内だけで裁くことのできる神として描いているのではありません。他の国々に対するメッセージも,それらの国々がエホバに申し開きをしなければならないことを示しています。
コメント 3: 1つの適用として,私たちは他の人の苦しみを決して喜ぶべきではありません。断罪された国々は,エルサレムの没落に対して悪い反応を示しました。その態度に倣うのではなく,エホバの裁きを尊重し,困難を経験している人に思いやりを示したいと思います。もちろん,その人が行った悪いことを正当化するわけではありません。
21,22. エゼキエルはイスラエル人のためにどんな良いことを預言していますか
コメント 1: エホバはご自分で羊を世話し,予告していた牧者を彼らの上に立てると約束します。これは,エホバが憤っていたイスラエルの偽の牧者たちとは対照的です。イスラエル人は希望を持てました。彼らをないがしろにしてきた人たちの手に,彼らの幸福がいつまでも委ねられるわけではなかったからです。
コメント 2: エゼキエルは,ユダヤ人が故国に戻ることを知らせます。生き返る骨の幻は,回復についての強い希望を伝えています。エルサレムの滅びは痛ましい現実でしたが,エホバは,いわば将来を失ったように見えた国民を生き返らせることができました。
コメント 3: エゼキエルが2本の棒を1本にする時,2つの王国が将来1つになることを表しています。ユダとイスラエルは再び1つの国民になります。ですから,回復は単に土地に戻ることではありません。エホバはまた,民を集め,彼らの間に存在していた分裂を過去のものにすることも約束していました。
23,24. ゴグがエホバの民を攻撃すると,エホバは何をしますか。エゼキエルはどんな幻を見ますか
コメント 1: ゴグが攻撃すると,エホバはご自分の民を守り,ゴグとその軍隊を滅ぼします。この預言は,民が自分たちを守る能力ではなく,エホバが行うことに注意を向けています。そのことは,人間の力ではなくエホバに安全を求める助けになります。
コメント 2: エゼキエルは,非常に大きな神殿と,そのさまざまな部分を測る天使を見ます。エホバの栄光が神殿を満たし,預言者は崇拝に関する指示を受けます。資料は,この幻がエホバの正しい基準を際立たせ,流刑にされた人たちに,清い崇拝が回復されることを確信させるものだと説明しています。
コメント 3: 幻には神殿から流れ出る川と,12部族への土地の分配も含まれています。また,その名前がエホバの存在を際立たせる都市も登場します。全体として,この幻はエホバと結び付いた回復に注意を向けています。大切なのは建物だけではなく,清い崇拝でした。
ア. エゼキエル 18:19-22によると,エホバは人が善いか悪いかをどのように判断しますか
エゼキエル 18:19-22 — あなたたちは,「どうして息子は父親の罪を負わないのか」と言うだろう。この息子は,公正で正しいことを行い,私の法令を全て守ったので,必ず生き続ける。 罪を犯す人が死ぬのである。子が父の罪を負うことはなく,父が子の罪を負うこともない。正しいことをして報われるのは正しい人自身であり,悪いことをして処罰されるのは悪い人自身である。 もし悪い人が,自分が犯した全ての罪から離れ,私の法令を守り,公正で正しいことを行うなら,その人は必ず生き続ける。死ぬことはない。 その人は,犯したどの違反についても責められることはない。正しいことを行ったために生き続ける』。
コメント 1: エホバは一人一人をその人自身の行いによって裁きます。子は父親の罪について責任を問われず,父親も子の罪について責任を問われません。これは完全な公正さの表れです。エホバは家族によって私たちにレッテルを貼るのではなく,私たち自身の行いを考慮します。
コメント 2: この箇所は,エホバが心からの変化を考慮することも示しています。人が悪い行いをやめて従い始めるなら,過去のために永遠に有罪とされることはありません。エホバご自身がその機会を与えているのですから,誰かを決して変われない人のように扱わないことを学べます。
コメント 3: エホバにとって,悔い改めは行動に表れなければなりません。本文は,罪をやめることと,従って正しいことを行うことを結び付けています。ですから,ただ悲しみを表すだけでは十分ではありません。正しいことをしたいと思っていることを,どんな具体的な決定によって示せるか,また変化し続けるためにエホバの助けを受け入れているかを考えられます。
イ. ゴグがエホバの民を攻撃するとエホバがどう反応するかに注目してください(38:18,19,22)。あなたはどう感じますか
エゼキエル 38:18-19 — 主権者である主エホバはこう宣言する。『その日,ゴグがイスラエルに攻め込む日に,私の非常に激しい怒りが燃え上がる。 私は熱意と,燃え盛る激怒のうちに話す。その日,イスラエルに大きな地震が起こる。
コメント 1: これらの言葉は安心感を与えます。エホバはご自分の民が攻撃されても無関心ではないことを示しているからです。エホバの反応の激しさから,ご自分の僕たちに起きることを気に掛けていることが分かります。私たちは,将来に立ち向かう時,エホバが関心を持ち,守る力を持っていることを信頼できます。
コメント 2: また,自分が愛されていると感じる助けにもなります。エホバは,ご自分の民に対する攻撃を他人事として扱っていません。エホバが断固として行動することを知ると,エホバへの信頼が強まります。エホバが約束する保護は,僕たちが世の中から強そうに見えるかどうかにかかっているのではなく,エホバとの関係にかかっています。
コメント 3: 同時に,この記述はエホバへの深い敬意を抱かせます。エホバが辛抱しているからといって,悪をいつまでも許すわけではありません。攻撃の一つ一つの詳細について推測するのではなく,確かな教訓に集中できます。エホバは何が起きているかを知っており,ご自分の民を守るために行動するのです。
ウ. エホバはご自分の民に「祝福の雨」を降らせると約束しています(34:26)。この言葉はあなたの生活の中でどのように実現していますか
エゼキエル 34:26 — 私は彼らと,私の丘の周囲を祝福し,良い時に雨を降らせる。祝福が雨のように降り注ぐ。
コメント 1: 考えられる祝福の1つは,エホバの言葉を通してエホバをもっとよく知ることです。この研究によって,エホバの憐れみ,公正さ,約束を理解できます。自分の答えを準備する時,こうした教えの1つを挙げ,それがどのようにエホバに近づく助けになったかを説明できます。
コメント 2: エホバを崇拝するために集まり合うことの価値についても考えられます。資料は,忠実な流刑者たちが集まって聖書を読んだことを思い出させています。私たちの場合,集会でどんな導きや励ましを受けたかを考え,その助けを当然のものとせず,祝福として認めるのは良いことです。
コメント 3: エホバが与えてくださる希望も,個人的に大切にできる別の祝福です。エゼキエルは平和,安全,回復について述べています。心から答えるために,こうした約束が困難に立ち向かう自分の態度にどんな影響を与えているかを考えられます。特別な経験を話す必要はありません。実際に受けている助けを認めれば十分です。
a. エゼキエルが「人の子」と呼ばれているのはなぜですか。(3:17; 新世界訳用語集)聖書の中で,ほかに誰がそう呼ばれていますか。(マタ 20:28)
エゼキエル 3:17 — 「人の子よ,私はあなたをイスラエル国民の見張りに任命した。あなたは私の口から出る言葉を聞いたら,私からの警告を彼らに伝えなければならない。
コメント 1: この表現は,エゼキエルが人間だったことを強調しています。エホバは彼に非常に重要な責任を与えましたが,預言者自身がメッセージの源だったわけではありません。彼は神が語ったことを聞き,それを伝えなければなりませんでした。見張りとしての権威は,彼自身の立場からではなく,エホバから来ていました。
マタイ 20:28 — 人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖いとして自分の命を与えるために来ました」。
コメント 2: イエスもこの呼び名で呼ばれています。マタイの福音書では,仕えるため,また自分の命を贖いとして与えるために来たことを説明する際にこの表現を使っています。この聖句から質問の後半にも答えられます。さらにイエスは,自分の立場を他の人のために用い,人に世話をしてもらうことを求めるためには用いなかった,という点も理解できます。
コメント 3: この2つの聖句から,エホバへの奉仕について学べます。エゼキエルは神から受けたメッセージを忠実に伝えなければならず,イエスは進んで仕える姿勢を示しました。責任を与えられているからといって自分を重要な者と考えるのではなく,エホバの意志を果たす機会と見るべきだ,という教訓を当てはめられます。
b. エゼキエル 17:16はどのように成就しましたか。(エレ 52:11)
エゼキエル 17:16 — 『主権者である主エホバはこう宣言する。「私は,生きている私自身に懸けて言う。彼はバビロンで死ぬ。そこは彼を王にした王が住む場所であり,彼はその王への誓いを軽んじ,王との契約を破った。
コメント 1: エホバは,ゼデキヤがバビロンで死ぬと予告していました。26番の囲み記事Aは,エルサレムが滅ぼされた後にその通りになったことを示しています。これは単に困難な結末になるという曖昧な予言ではありませんでした。ゼデキヤがどこで生涯を終えるかまで示しており,後の記録がその成就を裏付けています。
エレミヤ 52:11 — それからゼデキヤを失明させ,銅の足かせをはめてバビロンに連れていき,死ぬまで牢屋に入れておいた。
コメント 2: エレミヤは,その成就に関する詳しい情報を伝えています。バビロンの王はゼデキヤを盲目にし,捕虜としてバビロンに連れていき,死ぬまで牢屋に入れておきました。この2つの書を比べると,出来事の記録によって,エホバがエゼキエルを通して予告したことが確認されているのが分かります。
コメント 3: 預言は,ゼデキヤが誓いを軽んじ,契約を破ったことにも触れています。そのことから,約束や取り決めがどれほど重大かを思い起こせます。この預言の成就は,エホバの言葉に対する確信を強めます。同時に,自分が約束した事柄を軽く考えないよう励ましてくれます。
c. マタイ 1章の系図は,イエスが「法的権利」を持ち,「冠」を受けることができたとどのように示していますか。(21:26,27)
エゼキエル 21:26-27 — 主権者である主エホバはこう言う。『ターバンを外し,冠を脱ぎなさい。それらがそのままになることはない。立場が低い者を高くし,高い者を低くしなさい。 私は,破滅,破滅,破滅をもたらす。法的権利を持つ者が来るまで,冠は誰のものにもならない。私はその者に冠を与える』。
コメント 1: この預言は,エホバが王国を,王になる法的権利を持つ人のために取っておいたことを示しています。マタイの系図は,メシアに関する資料が示す通り,イエスがダビデの家系に属していることを明らかにしています。ですからイエスは,約束された王統とは無関係な人ではありませんでした。
コメント 2: エゼキエルの約束と,イエスがダビデの子孫であることとの間にはつながりがあります。王座が長年空いていたとしても,それによって約束が無効になったわけではありません。系図があるので,その約束が成就するメシアを確認できます。イエスの身分が根拠なく残されているわけではありません。
コメント 3: ルカは,エホバがイエスにダビデの王座を与えることを説明して,この情報を補っています。こうして2つの点が結び付きます。イエスは予告された家系に属しており,エホバはイエスを治める者として任命したのです。イエスの支配に対する私たちの確信は,人間の好みではなく,神の約束に基づいています。
a. 過去の間違いのために落ち込んでいるなら,エゼキエル 18:21,22の言葉はどのように助けになりますか
エゼキエル 18:21-22 — もし悪い人が,自分が犯した全ての罪から離れ,私の法令を守り,公正で正しいことを行うなら,その人は必ず生き続ける。死ぬことはない。 その人は,犯したどの違反についても責められることはない。正しいことを行ったために生き続ける』。
コメント 1: この聖句は,罪を悔い改めて変化した人について,エホバが以前の罪をいつまでも覚えているわけではないことを保証しています。悪い道を捨てたなら,エホバから見て今も以前と同じ人間だ,と考える必要はありません。エホバの約束には,許してくださると信頼できる十分な理由があります。
コメント 2: この聖句は,今できることにも目を向けさせます。エホバに従い,正しいことを実践するのです。過去を変えることはできませんが,現在の決定は変えられます。罪悪感のために身動きが取れなくなるのではなく,エホバに喜ばれる行動によって悔い改めを示せます。
コメント 3: 間違いを犯して苦痛を感じるからといって,エホバが私たちを許そうとしないという意味ではありません。自分の感情と,エホバが約束していることを区別するのは大切です。神の言葉は罪を軽く見てはいませんが,悔い改める人に希望を与えています。その憐れみをじっくり考えるなら,過去の間違いだけで自分を判断せず,引き続きエホバに仕える助けになります。
b. エゼキエル 3:18,19は,伝道の仕事とどのように関係していますか
エゼキエル 3:18-19 — 私が悪い人に,『あなたは必ず死ぬ』と言うのに,あなたがその人に警告せず,悪い生き方をやめて生き続けられるように諭さないなら,その悪い人は自分の過ちのために死ぬことになるが,私はその人の死の責任をあなたに問う。 一方,あなたが悪い人に警告したのに,その人が悪い行いや生き方をやめないなら,その人は自分の過ちのために死ぬが,あなたは自分の命を救うことになる。
コメント 1: エゼキエルには,エホバからの警告を伝える責任がありました。それと同じように,私たちも伝道の仕事を真剣に受け止めなければなりません。メッセージは,人々が行いを変え,神に近づく助けになります。ですから,聞きたくない人がいるからといって,話すのをやめたいとは思いません。
コメント 2: この聖句は,メッセージを伝える責任と,それを受け入れるかどうかの決定を区別しています。エゼキエルは誰かに変化を強制することはできませんでした。この点からバランスを保てます。忠実に伝道するよう努力しますが,聞く人の反応だけで自分の奉仕を評価することはしません。
コメント 3: 警告には愛のこもった目的もあります。悪い人に道を捨てて生き続ける機会を与えることです。この考えは,伝道の時の話し方にも影響します。人を condemn するために話すのではありません。エホバの言葉を聞き,その導きから益を得てほしいと願っているから話すのです。
4. この聖書の書から,ほかにどんな貴重な点を見つけましたか
エゼキエル 34:11-16 — 主権者である主エホバはこう言う。「私はここにおり,自ら自分の羊を捜し,世話する。 散らされた羊を見つけて養っている羊飼いのように,私は自分の羊を世話する。雲と濃い暗闇の日に散らされた全ての場所から,羊を救い出す。 私は羊をさまざまな民の中から連れ出し,国々から集めて,彼らの土地に連れていき,イスラエルの山の上で養う。川のほとりや,その土地の全ての居住地のそばで養う。 私は良い牧草地で羊を養う。羊はイスラエルの高い山の上で草を食べる。良い牧草地に横たわり,イスラエルの山の上で最良の牧草を食べる」。 主権者である主エホバはこう宣言する。「私は自ら自分の羊を養い,横たわらせる。 いなくなった羊を捜し,はぐれた羊を連れ戻し,けがをした羊に包帯をし,弱い羊を力づける。しかし,肥えた羊と強い羊を滅ぼし尽くす。私は彼らに処罰を食らわせる」。
コメント 1: 長老たちはエホバの自発性に倣えます。エホバは羊を捜し,散らされている羊や群れから離れてしまった羊を気に掛けます。それで,会衆の牧者たちは,誰かが助けを求めるまでいつも待つのではなく,その人の状況に関心を払うよう励まされます。
コメント 2: エホバは,傷ついた羊,弱い羊,迷い出た羊を見分け,それぞれの必要に応じて世話をします。長老たちは,どの状況にも同じように対処するのではなく,それぞれの必要に応じて世話をすることを学べます。一人一人に何が起きているのかをよく聞いて理解するなら,必要な慰めや励まし,助言を与えられます。
ペテロ第一 5:2 — 皆さんに委ねられた神の羊の群れを世話してください。強いられてではなく,神の前で進んで監督として奉仕し,不当な利益を得ようとしてではなく,真剣な態度で世話しましょう。
コメント 3: ペテロはさらに,進んで熱心に群れを世話すべきだと述べています。単に務めを果たすということではなく,エホバのものとなっている人たちを世話するということです。群れの所有者が誰であるかを心に留めるなら,長老たちは謙遜な態度と清い動機を持ち,兄弟たちに真の関心を示して奉仕できます。
4. この聖書の書から,ほかにどんな貴重な点を見つけましたか
コメント 1: 囲み記事26Aは,エゼキエル書が他の聖書の書とどれほど関係しているかを示しています。例えば,ユダヤ人が帰還するという知らせをエズラの記述と結び付けています。約束とその実現を比較すると,聖書を読む時にいっそう多くのことを学べます。また,聖書が一貫したメッセージであることも分かります。
コメント 2: もう1つの貴重な教訓は,エホバの名を担うことには責任が伴うということです。囲み記事はエゼキエル書とローマの手紙を関連付け,悪い行いによって他の人が神について悪く言うようになることを示しています。それで,自分の行動が人々のエホバに対する見方にどのような影響を与えるかを考えるよう促されます。
コメント 3: さらに,エホバがご自分の民と共にいることを望んでいる点も強調されています。囲み記事は,エゼキエル書にあるその約束を他の聖句と結び付けています。多くの幻や処罰の知らせが出てくる中で,この考えはとても慰めになります。清い崇拝を行うなら,ご自分の僕たちを世話したいと願っているエホバと親しい関係を楽しめるのです。
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