イエスのように,神の王国だけを支持する
1,2. イエスが政治問題でどちらの側にも付かなかったのはなぜですか。(ペテロ第一 2:21)
ペテロ第一 2:21 — 皆さんはこうした道に招かれました。キリストでさえ皆さんのために苦しみ,その歩みに皆さんがしっかり付いてくるよう手本を示しました。
回答 1: イエスは,神の王国だけが人類の問題を解決できることを知っていました。それで,不公正な扱いを受けた時でさえ,政治的な解決策を求めませんでした。この聖句は,イエスの手本に従うべきことを思い起こさせます。政治の変化が心配になる時,私たちの反応がイエスと同じ王国への信頼を示しているか,考えてみることができます。
回答 2: イエスがどちらかの側に付かなかったのは,人間の政府には苦しみを永久になくすことができないからです。だからといって,人々の必要に無関心だったわけではありません。実際,多くの人を助けました。しかし,問題を一時的に和らげることと,完全に解決することを区別していました。イエスの手本は,政治的な変化が自分の仕事や家族にどのような影響を及ぼすか心配になる時でも,政治的な変化に希望を託さないよう助けてくれます。
回答 3: イエスにとって,神の王国を支持することと,政治的な一方の側に付くことは両立しませんでした。イエスの立場は,状況が好ましいか困難かによって変わりませんでした。その揺るぎない態度は,政府の決定に不安を感じる時の導きになります。恐れに自分の立場を決めさせるのではなく,エホバへの忠実さを保ち,行動によって王国を信頼していることを示したいと思います。
3. イ 政治問題で中立であるとはどういう意味ですか
回答 1: 中立であるとは,この世界の政治問題でどの陣営にも付かないことです。神の王国だけが人類の全ての問題を解決できると確信しているので,この立場を取ります。ですから,中立とは単に議論を避けることではありません。私たちの決定が,伝えている王国のメッセージと調和していることを示す生き方です。
回答 2: 人々の問題をどうでもいいと思っているという意味ではありません。そうした問題の解決策として,政治的な一方の側を支持しないということです。イエスのように,神の王国に信頼を置きます。この区別は大切です。政治的な立場を取らずに,苦しんでいる人たちを心から気遣うことができます。王国について教えていることは,考え方や話し方や行動にも表れるべきです。
回答 3: 中立には,伝えていることと行動を一致させることが含まれます。神の王国が唯一の解決策だと言いながら,同時に政治的な陣営を支持するのは筋が通りません。この段落は,イエスの歩みに忠実に従うよう勧めています。ですから自分の立場を考える時,周囲の人が何をしているかだけでなく,自分の行動がイエスの王国への信頼を表しているかを考えます。
3 ロ この記事では何を考えますか
回答 1: イエスが3つの状況でどう行動したかを考えます。政治に関わる機会があった時,敵と戦うことができた時,政治問題について議論するよう仕向けられた時です。これらの出来事を知るだけではありません。イエスの決定に注目し,その歩みに忠実に従い,私たちも圧力に直面する時に中立を保ちたいと思います。
回答 2: この記事は,王国へのイエスの信頼が,何を受け入れ,敵をどう扱い,何を言うかにどのような影響を与えたかを理解する助けになります。イエスは政治権力を退け,暴力に訴えず,政治的な議論に引き込まれませんでした。この3つの点から,王国への支持が行動にも会話にも表れているかを調べることができます。
回答 3: イエスに倣う具体的な3つの方法を考えます。政治参加によって解決策を求めないこと,暴力で応じないこと,政治的な会話でどちらの側にも付かないことです。目的は中立を強めることです。イエスが実際の状況でどう反応したかを見るなら,神の王国だけを支持するとはどういうことか,また他の人に伝えているメッセージに沿って行動するとはどういうことかを,いっそう理解できます。
4. イエスが地上にいた時,イスラエルの政治情勢はどのようなものでしたか
使徒 5:37 — その後,登録があった頃にガリラヤ人ユダが立ち上がり,人々を自分に付かせました。しかし,その男も死に,従っていた者たちも皆散り散りになりました。
回答 1: 政治情勢は非常に不安定でした。この例から分かるように,ある人たちは支持者を集めて反乱を起こしましたが,失敗しました。それでもユダヤ人はローマから解放してくれる人を待ち続けていました。この背景を理解すると,イエスが政治的な役割を担うよう圧力を受けた理由が分かります。しかし,イエスが示した解決策はそれではありませんでした。
回答 2: ユダヤ人はローマの圧政から自由になり,それを実現する指導者が現れることを望んでいました。自称メシアが何人も現れ,中には暴力に訴えた人もいました。しかし,誰も成功しませんでした。そのため,イエスの宣教は政治的な期待が高まった環境で行われました。イエスの中立は,平穏な時代に生きていたからではなく,そうした圧力の中で固く決めたものだったのです。
回答 3: 多くのユダヤ人がメシアに期待していたことと,イエスが行うために来たことには大きな違いがありました。ユダヤ人は真のメシアがイスラエルをローマの支配から解放し,独立した王国を建てると考えていました。その期待があったので,イエスの行ったことを政治的な観点から解釈することがありました。私たちも,自分の願いに合わせるのではなく,イエスの教えに希望を導いてもらう必要があります。
5. イエスの弟子の多くは,イエスに何をしてほしいと思っていましたか
ルカ 24:21 — しかし私たちは,この人がイスラエルを救出する方だという希望を抱いていました。それなのに,これらのことが起きてから今日で3日目です。
回答 1: 多くの人は,イエスがイスラエルをローマ人から解放することを期待していました。エマオに向かっていた2人の弟子は,イエスが死んだ後でさえその希望を言い表しました。彼らの言葉から,その期待がどれほど根強かったかが分かります。エホバが私たちの想像する方法で行動することを期待するのではなく,エホバの目的に合わせて考えを調整する必要があります。
回答 2: 弟子たちの間にも,ローマから解放されるという期待がありました。この段落は,バプテストのヨハネがイエスに尋ねた質問に触れ,ヨハネがユダヤ人のその希望をイエスが実現するのか知りたかった可能性を説明しています。この点は大切です。確実なことではなく,可能性として述べられているからです。明らかなのは,政治的な期待が弟子たちの生活する環境の一部だったということです。
回答 3: 使徒たちも,イエスがイスラエルに王国を回復することを期待していました。彼らの質問から,神の王国がどのように行動するかをまだ十分理解していなかったことが分かります。これは,イエスに従うには期待を正す心構えが必要だということを教えています。自分が見たい政治的変化によってエホバの目的の実現を判断するのではなく,エホバが選んだ解決策を信頼したいと思います。
回答 4: この段落から分かるように,その希望を抱いていたのはイエスの敵や群衆だけではありません。イエスに従い,イエスを愛していた人たちもそう考えていました。これは謙遜に自分を調べるよう促します。エホバを信頼しながら,政治的な変化が自分の問題を解決してほしいと思うことがあるかもしれません。私たちも考え方を調整し続け,希望を神の王国に集中させるよう励まされます。
6. ガリラヤのユダヤ人たちがイエスを王にしようとした時,イエスはどう反応しましたか。(挿絵も参照。)
ヨハネ 6:14-15 — 人々はイエスが行った奇跡を見て,「これこそ,世に来ることになっていた預言者だ」と言いだした。 イエスは,人々が自分を王にするために捕らえに来ようとしているのを知り,ただ独りで再び山に去っていった。
回答 1: イエスは群衆から離れ,1人で山に行きました。人々の熱狂を利用して政治的な権力を得ようとはしませんでした。この反応から,イエスが自分の立場をはっきり理解していたことが分かります。人々から支持されていたとしても,神の王国だけを支持するという決意を変えることはありませんでした。
回答 2: 人々にはイエスを尊敬する理由がたくさんありましたが,イエスは王にしてもらうことを受け入れませんでした。病気の人を癒やし,何千人もの人々に奇跡的に食べ物を与えたばかりだったからです。それでも,イエスはその尊敬を政治的な機会に変えようとはしませんでした。このことから,大勢の人に認められることによって,何が正しいかが決まるわけではないと分かります。他の人たちから別の道を勧められても,エホバに忠実であり続けることが大切です。
回答 3: 画像には,人々がイエスについて話し続け,何人かの男性が余った食べ物を集めている間に,イエスがそこから離れていく様子が描かれています。この対照から,イエスの決意がよく分かります。イエスは大きな熱狂を引き起こす奇跡を行ったばかりでしたが,群衆から権力を得るためにその場にとどまりませんでした。人を助け,その人たちから尊敬されることは,世の政治に関わらなければならないという意味ではないことを,イエスの行動から思い起こせます。
回答 4: 群衆がイエスを無理やり王にする前に,イエスは行動しました。人々が何を企てているかに気付くと,その場を離れたのです。自分を尊敬する人たちからの圧力によって決定させることはありませんでした。この反応から,ある状況が自分の中立を危うくする可能性がある時に気付き,毅然と行動することを学べます。時には,その場から離れることが,イエスに倣うという決意を守る最善の方法です。
7. イエスはなぜ自分を王にすることを許しませんでしたか
詩編 146:3 — 権力者にも人の子にも頼ってはならない。その人たちには救う力がない。
回答 1: イエスは,人間の支配者が苦しみを永久になくすことはできないと知っていました。それで,政治的な地位に就けばある程度人々を助けられたとしても,それを受け入れませんでした。この詩編は,イエスがそう決めた理由を理解する助けになります。人間に頼ってはならないのです。イエスのように,神の王国だけがもたらせる完全な解決を待ちます。
回答 2: イエスは人間の政府の限界を知っていただけでなく,世の政治体制の背後に誰がいるかも知っていました。段落にある通り,エホバは政府が存在することを許していますが,政府に権威を与えているのはサタンです。それでイエスは,世から離れていることを決意していました。目の前では良い結果をもたらしそうな機会かどうかだけで判断せず,それを受け入れたらどんな結果になるかも考えました。
回答 3: イエスは,世の一部にならないという決意を守り,弟子たちにも同じようにしてほしいと思っていました。それで,政治的な地位を求めたり受け入れたりしませんでした。この点は役立ちます。地位を望まないだけでなく,中立を危うくする機会も退けなければなりません。イエスの手本に倣い,自分の支持は人間の政府ではなく神の王国にのみ与えると,あらかじめ決めておけます。
回答 4: イエスが広めた解決策は父の王国でした。それで弟子たちに,その王国が来るよう祈ることを教えました。祈りと教えと決定は,どれも調和していました。私たちもこの一貫性に倣えます。王国が来るよう祈るなら,同時に,その王国が真の解決策だと考えていることを行動で示したいと思います。人間の支配者が全ての問題をなくすことに期待するのではありません。
8. イエスはピラトに神の王国について何と言いましたか
ヨハネ 18:33,36 — それでピラトは再び総督の邸宅に入り,イエスを呼んで,こう言った。「あなたはユダヤ人の王なのか」。 イエスは答えた。「私の王国はこの世界のものではありません。もしそうだったなら,私に付き従う者たちは,私をユダヤ人たちに渡さないように戦ったでしょう。しかし実際は,私の王国はこの世界からのものではありません」。
回答 1: イエスは,自分の王国が世のものではないと説明しました。また,弟子たちが自分を引き渡させないために戦わなかったことも述べました。それで,王としての権威を持っていても,政治指導者でも反乱の首謀者でもないことを明らかにしました。
回答 2: イエスは,神の王国が人間のどんな政府とも違うことを説明しました。王国は天から支配し,この世の政治体制の一部にはなりません。それでイエスは,ローマ側にも,ローマと戦おうとする人たちの側にも付きませんでした。王国を支持するとは,自分が最も良いと思う政治的な側を選ぶことではなく,中立を保つことだと理解できます。
回答 3: イエスが死ぬ少し前,ローマの権威者の前で自分の立場を明らかにしたことには大きな意味があります。非常に困難な状況でも,当時の体制内の政治的な解決策として王国を示すことはしませんでした。宣教期間中ずっと教えてきたことに忠実でした。このことから,圧力を受けても中立を保ち,私たちの希望が神の王国にあることを明確に説明するよう励まされます。
回答 4: ピラトへの答えから,王国の性質とその支持者たちの行動には直接の関係があることが分かります。その王国は世のものではないので,王国を守るために暴力で戦うことはありません。私たちにとってこれは,王国について話すだけでは十分ではないという意味です。私たちの行動は,王国を支持していること,また人間の政府の方法を使って王国を広めていないことを示す必要があります。
9. クリスチャンはどのようにイエスに倣いますか
テトス 3:1 — 引き続き兄弟たちに次の事柄を思い起こさせてください。政府や権威者に従うこと,あらゆる良い活動のために用意をすること,
回答 1: クリスチャンは中立を保ちながら,権威者に敬意を示すことによってイエスに倣います。中立を保つことは,良い市民になる妨げにはなりません。法律に従い,税を払い,善いことを行う用意をします。こうして,政治に関わらないことは政府を軽蔑したり,責任を放棄したりすることではないと示します。
回答 2: 神の王国だけが人類を支配する権利を持ち,人類の全ての問題を解決できると伝道することによって,イエスの手本に倣います。私たちのメッセージは,人間の指導者を変えることを勧めるものではありません。別の希望を差し伸べています。それで,王国について人々に話す時の会話も決定も,教えていることと調和するように努めます。
回答 3: 不公正な扱いを受けても,政治に参加して解決しようとはしません。段落にある通り,政治的な地位に立候補したり,法律を変えるために候補者に投票したりしません。この決定は,不公正な扱いを受け入れているという意味ではありません。イエスの手本に倣い,神の王国だけが人類の問題に対する完全な解決策だと信頼しているという意味です。
回答 4: 王国が地球を治める時を待つ間,忍耐することによってもイエスに倣います。聖書は虐待や苦しみがあることを認めており,その痛みを軽く見てはいません。しかし,忍耐する必要があることを段落は思い起こさせます。不公正な扱いを個人的に受けると,中立を保てるか試されるかもしれません。それでも中立を保つなら,問題がまだ解決されていなくてもエホバを信頼し続けていることを示せます。
回答 5: 自分の行動によって信仰を裏付けたいので,政治的な論争に関わらないよう努力します。王国が真の解決策だと伝えながら,政治的な側を支持するなら,矛盾したメッセージを伝えることになります。この段落は,正直に自分を調べるよう勧めています。ニュースについて話したり反応したりする時,神の王国だけを支持していることがはっきり伝わるか,自問できます。
10. 祭司長たちとパリサイ派の人たちは,なぜイエスを殺そうとたくらみましたか
ヨハネ 11:48-50,53 — このまま放っておいたら,皆が彼に信仰を持ち,ローマ人がやって来て,私たちの神殿も国民も奪い去ってしまう」。 その年に大祭司だったカヤファという人がいて,こう言った。「皆さんは何も分かっていません。 国民全体が滅ぼされるよりも1人の人が民のために死ぬ方が皆さんにとってよい,ということを考えていません」。 その場にいた人たちはその日以来,イエスを殺そうとして相談した。
回答 1: 宗教指導者たちは,イエスを自分たちの権威に対する脅威と見なしていました。イエスへの支持がローマの介入を招くことを恐れていたのです。彼らの言葉から分かる通り,その心配のために,イエスが政治的な権力を求めていなかったにもかかわらず,イエスを殺すことを正当化しました。
回答 2: 祭司長たちとパリサイ派の人たちは,イエスを政治的にも宗教的にもライバルだと考えていました。人々がイエスに信仰を持ち,それによって自分たちの立場が脅かされることを心配していました。イエスが実際にしていたことと,敵たちがどう解釈したかを区別することが大切です。イエスは中立を保っていましたが,敵たちはイエスを政治的な脅威だと決め付けました。その告発によって,イエスの平和的な行動が変わることはありませんでした。
回答 3: ローマ人が介入すれば,自分たちの聖なる場所と国民を失うことを恐れていました。イエスが反乱を起こしていないことを認める代わりに,イエスを排除することにしました。この出来事から,権威を守りたいという願いが人をどこまで動かすかが分かります。また,敵たちがイエスの命を奪おうとしていた時にも,イエスは弟子たちに暴力に訴えてはならないと教え続けたという対照も分かります。
回答 4: 彼らは,国民に悪い結果が及ばないようにするには,イエスを犠牲にするのがよいと考えました。しかし段落は,その背後に,イエスが自分たちの権威を脅かすのではないかという恐れがあったことを明らかにしています。このことから,イエスの行動をいっそう高く評価できます。敵たちが自分を殺そうと企てていることを知っていても,原則を捨てず,弟子たちに敵と戦うよう暴力を教えることもしませんでした。
11. イエスは,逮捕された夜,使徒たちに剣を用意するよう言ったのはなぜですか
マタイ 26:47 — イエスがまだ話しているうちに,12人の1人であるユダが来た。祭司長と民の長老たちに遣わされた大勢の人も,剣やこん棒を持って一緒に来た。
回答 1: 戦うようにという意味ではありませんでした。武装した群衆に立ち向かうには,剣2本では足りません。イエスは,弟子たちが迫害に対して暴力で応じてはならないという教訓を教えるために剣を用いました。イエスを捕らえに来た集団の規模と武装の状態からも,イエスが軍事的な防衛を組織していたわけではないことが分かります。
回答 2: イエスが教えたかったのは実際的な教訓であり,戦いの準備ではありませんでした。使徒たちが剣を2本持っていると言うと,イエスはそれで十分だと述べました。この節は私たちに考えさせます。武装した大群衆と戦うのに,剣2本で足りるでしょうか。もちろん足りません。しかし,反対や迫害に遭った時に弟子たちがどう行動すべきかを,イエスはこのようにしてはっきり教えました。
回答 3: 剣についての指示は,その後イエスが何をしたかを考慮して理解する必要があります。人々がイエスを捕らえに来た時,イエスは戦わず,剣を使うよう命じもしませんでした。ですから,弟子たちに暴力で自分を守ることを許可したわけではありません。このことから,1つの指示を,それを説明する出来事から切り離すのではなく,イエスの言葉と行動全体を考えて正しく理解する必要があると学べます。
回答 4: イエスは敵たちが自分を殺そうとしていることを知っていましたが,その知識を利用して武装した抵抗を組織することはしませんでした。イエスが関心を向けていたのは,使徒たちが正しく行動できるよう準備することでした。剣は,暴力で応じることもできたとしても,そうしてはならないということを教えるためのものでした。大切なのは戦いに勝てるかどうかではなく,イエスの手本と指示に従うことでした。
12. ペテロが剣を使った後,イエスは何と言いましたか。(挿絵も参照。)
マタイ 26:51-52 — ところが,イエスと一緒にいた1人が,剣をつかんで抜き,大祭司の奴隷に襲い掛かって耳を切り落とした。 その時,イエスは言った。「その剣をさやに収めなさい。剣を取る人は皆,剣で滅びます。
回答 1: イエスは剣を使うのをやめるよう命じ,剣に頼るならどんな結果になるかを警告しました。ペテロがそのような仕方で自分を守ることを認めませんでした。教訓は明らかです。不公正な扱いを受けたとしても,またイエスを守りたいと思ったとしても,暴力で応じることは正当化されません。
回答 2: 挿絵では,イエスがペテロを押さえ,剣をしまうよう合図しています。そのそばでは,けがをした男性が頭の片側を覆っています。この場面は,イエスが暴力を止めたのであって,それを助長したのではないことを強調しています。イエスは不当に逮捕されようとしていましたが,弟子たちが自分のために戦うことを許しませんでした。イエスの反応から,反対に遭った時,衝動に流されないようにすることを学べます。
回答 3: ペテロを正したことにより,イエスは自分の弟子たちがローマや他のどの国とも戦うことを望んでいないとはっきり示しました。この教えはその夜だけに当てはまるものではありません。弟子たちは迫害を受けても平和な人でなければなりませんでした。ですから,自分の目的が正しいと思うかどうかによって行動を変えることはできない,ということが分かります。感情が非常に高ぶる時にもイエスに従いたいと思います。
13. エホバの証人が暴力的な争いに一切参加しないのはなぜですか。(ヨハネ 13:35; 17:11,20-23)
ヨハネ 13:35 — あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。
回答 1: 私たちはイエスに従い,イエスの弟子を見分けるしるしである愛を保ちたいと思っているからです。暴力的な争いを支持するなら,その愛に反することになります。私たちの立場は,どの国に住んでいるか,また他の人たちがどちらの側を正しいと考えるかによって変わりません。参加を拒むことによって,キリストの弟子であることが他の人への接し方に本当に影響していることを示します。
回答 2: イエスは弟子たちが一致していることを願いました。暴力的な争いに参加すれば,その一致は壊れてしまいます。ですから,そのような争いをどんな形でも支持しません。私たちの兄弟関係が国々の対立によって分裂してはなりません。この節から,中立の立場が非常に貴重なもの,つまりイエスが真の弟子たちの間に存在すると述べた愛と一致を守ることが分かります。
回答 3: 主な理由は,神の王国を推し進めているからです。戦争や他の暴力的な争いに参加するなら,世の政治問題で一方の側に付くことになります。ですから,私たちの立場は平和を願うだけのものではありません。神の王国への忠節の表れです。私たちの決定によって,エホバの統治を信頼し,エホバの子イエスの平和な手本に倣っていることを示したいと思います。
回答 4: イエスが平和に行動したことを感心するだけでは不十分です。イエスが命じたことに従いたいと思います。イエスは弟子たちが自分を守るために暴力に訴えることを許しませんでした。私たちも同じ基準に従います。この節は,私たちの決定を従順,愛,一致と結び付けています。こうした理由を心に留めるなら確信が強まり,私たちの立場はキリストに従うことから生じていると説明しやすくなります。
14,15. (イ)イエスの時代に税の支払いが非常に論争を呼ぶ問題だったのはなぜですか
マタイ 22:19-21 — 人頭税の硬貨を見せなさい」。デナリ硬貨がイエスの所に持ってこられた。 イエスは言った。「これは誰の肖像と称号ですか」。 その人たちは,「カエサルのです」と言った。イエスは言った。「それでは,カエサルのものはカエサルに,しかし神のものは神に返しなさい」。
回答 1: 硬貨には皇帝の肖像が刻まれており,ユダヤ人がローマの支配下にあることを思い出させました。さらに,多くの人は税が高過ぎると考えていました。そのため,この問題は経済的な事柄にとどまらず,政治的な感情も呼び起こしました。イエスは,その論争によって自分が一方の側に付くことを許しませんでした。
回答 2: 多くの人は,ローマがあまりにも多くの税を要求していると考えていました。そのため,この問題は生活に直接影響し,人々の不満を引き起こしました。この点から,税についての会話が政治的な議論になりやすかった理由が分かります。イエスは人々の苦しみを知っていましたが,このように敏感な問題によって中立の立場からそれることはありませんでした。
回答 3: 人頭税が特に不快だったのは,皇帝の顔が刻まれた硬貨で支払わなければならなかったからです。ユダヤ人にとって,それはローマに服従していることを思い出させるものでした。経済的な負担とローマの支配に対する反感が混ざり合っていたのです。敵たちは,この問題が強い感情を呼び起こすことを知っていたので,イエスに政治的な意見を言わせようとしてこの問題を選びました。
14,15. (ロ)敵たちはイエスをどんなわなに掛けようとしましたか。(マタイ 22:19-21)
回答 1: 敵たちは,税についての論争でイエスに一方の側に付かせようとしました。イエスはその議論に加わりませんでした。権威に対する義務と神に対する義務を区別して答えました。そのようにして,敵たちが引き出そうとした政治的な立場を取らずに,明確に答えられることを示しました。
回答 2: パリサイ派の弟子たちとヘロデの党派の人たちが,非常に論争を呼んでいた問題について意見を尋ねました。目的は単に教えを知ることではなく,イエスを一方の側に付かせることでした。人々がどれほど税を嫌っているかを知っていたので,税の問題を選んだのです。現実の問題についての質問が,政治的な立場を表明するよう圧力をかけるものになることを,このことは思い出させます。
回答 3: そのわなは,強い感情を呼び起こす問題を持ち出し,イエスを論争に巻き込むことでした。しかしイエスは,敵たちに答え方を決めさせませんでした。果たすべき責任に注意を向けました。イエスの手本から,政治的な問題について意見を求められたからといって,どちらかの側を選ぶ必要はないことを学べます。
16. 不公正なことを見たり,自分が不公正な扱いを受けたりした時,どのようにイエスに倣えますか。(挿絵と「心から中立でいましょう」という囲みも参照。)
ルカ 6:45 — 善い人は,心に蓄えている善いものの中から善いものを取り出し,邪悪な人は,蓄えている邪悪なものの中から邪悪なものを取り出します。心に満ちあふれているものが口から出るのです。
回答 1: 話す時にも中立を保つことによって,イエスに倣えます。この聖句から,私たちの言葉には心の中にあるものが表れることが分かります。ですから,政治的な意見を口にしないだけでは十分ではありません。王国への確信を強めたいと思います。そうすれば,不公正なことを見たり,自分が不公正な扱いを受けたりした時,私たちの言葉には,どちらかの側を支持する気持ちではなく,その確信が表れるでしょう。
回答 2: 政治的な議論に加わらなくても,不公正なことを見て心を痛めることがあります。イエスは人々が苦しんでいるのを見て心を動かされましたが,彼らの問題を全て解決できるのは神の王国だけだと知っていました。私たちも,エホバが起きている事柄を全て把握していることを忘れません。その確信があるので,不公正なことが自分に直接影響したり,愛する人が被害を受けたりしても,冷静さと中立を保てます。
回答 3: 挿絵には,職場の仲間たちが通りで行われているデモについて話している間に,カフェテリアを出ていく姉妹が描かれています。姉妹は政治的な会話に加わるためにその場にとどまりません。この場面から,実際的な教訓が得られます。会話が自分の中立を危うくし始めたなら,その場を離えることができます。あらゆる論争について意見を述べる必要はありません。職場での日常的な状況でも,イエスに倣いたいという願いが私たちを導きます。
回答 4: 同情心とエホバへの確信を示すことによって,イエスに倣えます。苦しんでいる人の痛みを軽く見ることはありませんが,政治的な立場を取ることが解決策だとも考えません。この段落は,イエスが話す事柄についても中立だったことを強調しています。ですから,不公正なことについて話す前に,自分の言葉が人々への関心を表すのか,それとも政治的な立場を支持することになるのかを考えられます。
17. 神の王国だけを支持することが大切なのはなぜですか。
エレミヤ 10:23 — エホバ,私はよく知っています。人は自分の道を定めることができません。自分で自分の歩みを導くことができないのです。
回答 1: 人間には,自分の力だけで人類をうまく導く能力がないからです。良い意図を持つ支配者でさえ,苦しみを全てなくすことはできません。この聖句は,人間の政府に対して現実的な見方をし,平和と公正と永続する幸福をもたらす神の王国に希望を置くよう助けてくれます。
回答 2: 人類に必要なものを永続的に与えられるのは,神の王国だけです。この段落は,世界の混乱と,王国が地上を治める時に実現する平和,公正,幸福を対比しています。その違いをいつも考えているなら,政治家の約束に心を動かされないようにできます。私たちの希望は,より良い指導者が現れることではなく,エホバが設立した政府にかかっています。
回答 3: 神の王国だけを支持するなら,エホバに喜んでいただけます。この段落は,天のお父さんが,ご自分の僕たちが心からご自分の政府と,選んだ王であるイエス・キリストを支持するのを見て喜ばれることを強調しています。ですから,中立であることは,単に避ける事柄のリストではありません。約束が実現するのを待ちながら,エホバへの愛と忠節を積極的に示す方法なのです。
回答 4: 王国について知らせることも大切です。人間の政府には限界があると認めるだけでなく,より良い将来への真の希望を他の人に伝えます。この活動は,私たちの中立と調和しています。この世界の政府を支持するのではなく,エホバの解決策に人々の注意を向けます。そのようにして,私たちが伝道することと生き方は,同じメッセージを伝えます。
18. どんな状況が生じる可能性がありますか。次の記事では何を学びますか。
回答 1: 政治組織に加わるよう,あるいは戦争で戦うよう強制されるかもしれません。投獄すると脅される可能性にも,この段落は触れています。中立を保つのが特に難しくなる状況です。次の記事では,圧力を受けてから反応を考えるのではなく,そうした状況に立ち向かえるよう今から準備する方法を学びます。
回答 2: 中立が試されるのは,会話によってだけではなく,権威者からの要求によってでもあります。政治や戦争に参加するよう圧力をかけられ,投獄すると脅されるかもしれません。この記事は,準備の大切さに注意を向けて終わります。次の研究では,エホバに従うために難しい結果に直面することになっても,今から中立を保つ決意を強める方法を説明します。
回答 3: この段落は,中立に関する重大な試練について前もって考えるよう勧めています。政治組織への強制的な加入,戦争への参加,投獄の脅しが挙げられています。全ての人がそうした状況を経験すると言っているのではありませんが,起こり得ることです。それで次の記事では,神の王国への忠節を保てるよう,今から準備する方法に焦点を当てます。
クリスチャンが政治的な事柄で立場を取らないのはなぜですか。
ヨハネ 13:35 — あなたたちの間に愛があれば,全ての人は,あなたたちが私の弟子であることを知ります」。
回答 1: 私たちはイエスに従い,神の王国を支持しているので,政治的な立場を取りません。また,中立を保つことによって,イエスの弟子であることを示す愛を守れます。政治的な分裂によって会衆が分裂してはなりません。中立を保つなら,王国への忠節と兄弟たちへの愛が,この世界の対立を上回っていることを示せます。
回答 2: 主な理由は,神の王国だけが人類の問題を完全に解決できると確信しているからです。イエスも同じ確信を持っていたので,政治的な権力を退けました。私たちも,伝えているメッセージと行動が一致するようにしたいと思います。王国を真の解決策として支持するなら,同時に政治的な側に希望を託すことはできません。
回答 3: どんな状況でもイエスに倣いたいと思っているので,政治的な立場を取りません。イエスは王にされることを受け入れず,敵と戦わず,政治的な議論にも入りませんでした。イエスが中立だったかどうかは,周りの人の扱い方に左右されませんでした。その手本は,不公正な扱いを受けたり将来を心配したりする時にも,立場を保つ助けになります。政治情勢が変わっても,王国への支持は変わりません。
回答 4: 中立であれば,人間の政府を支持する立場にならずに,権威者を敬えます。市民としての義務を果たしますが,支持を神の王国のために取っておきます。自分の信仰を説明する時,この違いは重要です。支配者を軽蔑して行動しているのではありません。エホバへの信仰と,その子イエスの歩みに忠実に従いたいという願いが,私たちの立場の根拠です。
クリスチャンが暴力的な紛争に一切参加しないのはなぜですか。
マタイ 9:36 — 群衆を見て,かわいそうに思った。羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,放り出されていたからである。
回答 1: 人々に深い同情心を抱いていたイエスに倣いたいと思っているからです。その同情心によって暴力を勧めることはありませんでした。イエスが逮捕されようとしていた時も,弟子たちが自分のために戦うことを許しませんでした。ですから,苦しみや不公正を見て心を痛めても,平和を愛したイエスの手本に従い,神の王国を解決策として信頼します。
回答 2: イエスが弟子たちに,迫害を受けた時でさえ暴力で応じないよう教えたからです。ペテロが剣を使った時,イエスは彼を正しました。この出来事から,良さそうな意図があっても,イエスに従わないことの言い訳にはならないと分かります。暴力的な紛争を避けるという決定は,どちらの側が勝つ可能性が高いか,あるいはより良い目的を守っているように見えるかを計算した結果ではなく,イエスの教えに基づいています。
回答 3: 暴力的な紛争に参加すれば,キリストの弟子たちの間に存在すべき愛と一致が壊れてしまいます。それで,どんな形であれ支持しません。国々の分裂に関係なく,兄弟関係が一致していることを願っています。この立場を保つなら,クリスチャンの愛は単に教えるものではなく,圧力の下でも私たちの決定を左右する特質であることを示せます。
回答 4: この世界の対立する側ではなく,神の王国を支持しているからです。暴力的な紛争に参加するなら,政治的な問題で一方の側に付くことにもなります。中立と平和な行動には関係があります。どちらも,イエスに従い,エホバの政府を信頼することから生じます。ですから,紛争によって立場を変えるのではなく,王国への同じ忠節を保ちます。
誰かが政治的な問題について議論しようとする時,どのようにイエスに倣えますか
エレミヤ 10:23 — エホバ,私はよく知っています。人は自分の道を定めることができません。自分で自分の歩みを導くことができないのです。
回答 1: 人間は自分たちだけで人類をうまく導くことはできない,ということを思い起こします。その確信があるので,どの陣営が全ての問題を解決するのかについて議論することを避けられます。イエスのように,話す時には中立を保ち,王国に信頼を置きます。人々を心配していることを示すために,政治的な解決策を擁護する必要はありません。
回答 2: 論争に引きずり込まれないことによって,イエスに倣います。敵たちから税について尋ねられた時,イエスは政治的な立場を取らずに答えました。誰かが私たちの意見を知りたいとしつこく尋ねてきても,私たちもどちらかの陣営を選ぶ必要はありません。敬意のこもった態度を保ち,希望が神の王国にあることをはっきり伝えながら,会話を政治的な議論にしないようにできます。
回答 3: 言葉だけでなく,心の中にあるものにも注意を払います。政治的な好みを育てるなら,それが話すことに表れるようになるかもしれません。ですから,エホバとその王国への信頼を強めたいと思います。会話が政治的なものになったなら,職場のカフェテリアを出ていく姉妹の例のように,参加を控えたり,その場を離れたりできます。中立を保つには,簡単でも毅然とした決定が必要になることがあります。
回答 4: 政治的な意見を支持することなく,人々が苦しんでいることを認めることができます。イエスは思いやりを感じましたが,どの人間の政府が問題を解決するのかについて議論しませんでした。誰かが不公正について話す時も,関心を持って耳を傾け,同じ区別を保ちたいと思います。エホバが起きている事柄を知っているという確信があるので,落ち着いて答え,憤りによって中立を損なわないようにできます。
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